トラック運転手の反発を乗り越えて両備運輸を立て直した後は、タクシー会社の再建に挑んだ。立ちはだかったのは強硬な労働組合。どんな施策も受け入れてもらえなかった。ふと通りかかった神社で商売繁盛の神様に「神頼み」。頭の中に突破口が浮かんできた。
![<span class="fontBold">小嶋光信[こじま・みつのぶ]氏<br />両備ホールディングス会長</span><br />1945年東京生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。三井銀行(現・三井住友銀行)を経て、73年に義父が経営する両備運輸に入社。99年に両備バスの社長に就任し、両備グループ代表に。2007年両備ホールディングス社長、11年から会長。和歌山電鐵や中国バスなどの再建を手掛けたほか、地方公共交通の存続に向けた法整備にも尽力してきた。(写真=菅野 勝男)](https://cdn-business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00151/110800003/pf.jpg?__scale=w:400,h:368&_sh=0700350f90)
両備ホールディングス会長
1945年東京生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。三井銀行(現・三井住友銀行)を経て、73年に義父が経営する両備運輸に入社。99年に両備バスの社長に就任し、両備グループ代表に。2007年両備ホールディングス社長、11年から会長。和歌山電鐵や中国バスなどの再建を手掛けたほか、地方公共交通の存続に向けた法整備にも尽力してきた。(写真=菅野 勝男)
生まれ育った東京を離れて取り組んだ両備運輸の再建は、当初のトラック運転手たちの反発を乗り越えてからは順調に進みました。売上高の1割に相当する4億円もの赤字も解消し、2年足らずで黒字化できました。
その後に任されたのが、グループ傘下の岡山タクシーの立て直しです。当時は、岡山市内に17社あったタクシー会社の中で、営業成績が他社から大きく引き離されての最下位でした。両備運輸の常務と兼務する形で1975年に30歳で社長に就きました。
岡山タクシーは激しい労働組合運動でにっちもさっちも行かなくなっていました。組合の委員長は階級闘争を訴える左翼系の労働運動を展開してきた人物で、集団交渉しか受け入れない。その交渉で、会社の提案はおしなべて否決されました。管理部門を強化しようと課長を交代させたら、ストライキまで打ってきた。「課長を代えるのに組合の承認を取っていない」というわけです。
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