公共交通や運輸の事業を手掛ける岡山県の名門企業のトップを20年以上務める。きっかけは妻の父からの相談。東京での銀行員生活に別れを告げ、岡山に移り住んだ。29歳の常務がまとめた再建策には、現場の運転手たちの強烈な反発が待っていた。

<span class="fontBold">小嶋光信 [こじま・みつのぶ]氏<br>両備ホールディングス会長</span><br>1945年東京生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。三井銀行勤務を経て、73年に義父が経営していた両備運輸に入社。99年に両備バスの社長に就任し、両備グループ代表に。2007年両備ホールディングス社長、11年から会長。和歌山電鐵や中国バスなどの再建を手掛けたほか、地方公共交通の存続に向けた法整備にも尽力してきた。(写真=菅野 勝男)
小嶋光信 [こじま・みつのぶ]氏
両備ホールディングス会長

1945年東京生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。三井銀行勤務を経て、73年に義父が経営していた両備運輸に入社。99年に両備バスの社長に就任し、両備グループ代表に。2007年両備ホールディングス社長、11年から会長。和歌山電鐵や中国バスなどの再建を手掛けたほか、地方公共交通の存続に向けた法整備にも尽力してきた。(写真=菅野 勝男)

 岡山市を中心にバスや鉄道、タクシー、フェリーといった交通事業を展開する両備グループのトップに就いて20年余りになります。軽便鉄道事業を手掛ける会社として1910年に創立してから100年余りがたった今、両備グループは交通だけでなく小売りや住宅、ITサービスなども手掛ける、約50社で構成する複合企業になりました。

 その20年ほどの間、そして今も、地方公共交通にとって苦しい時代が続いています。2000年代に断行された規制緩和や、地方の人口減少に伴う利用客の減少の影響です。その逆風にあらがい、私は岡山だけでなく全国各地でバスや鉄道の再生に取り組んできました。

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<span class="fontBold">和歌山電鐵の再生では、終点の駅長に三毛猫の「たま駅長」を起用し、現在にまで続く猫ブームの先駆けとなった(左)。「いちご電車」など趣向を凝らした車両の運行も始めた(右)</span>(写真=右:PIXTA)
和歌山電鐵の再生では、終点の駅長に三毛猫の「たま駅長」を起用し、現在にまで続く猫ブームの先駆けとなった(左)。「いちご電車」など趣向を凝らした車両の運行も始めた(右)(写真=右:PIXTA)
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 三毛猫の「たま駅長」をご存じでしょうか。和歌山市と紀の川市を結ぶ和歌山電鐵貴志川線の終点、貴志駅で駅長を務め、今に続く猫ブームの火付け役になったとされる猫です。たま駅長を一目見ようと、全国から鉄道ファンや猫好きの観光客が押し寄せました。

 この鉄道、南海電気鉄道が廃止を検討していた路線の運行主体が公募され、06年から両備グループが営業を引き継いだものなんです。貴志駅の売店で飼われるうちに人気者になっていた猫を「駅長」に起用し、乗客数の増加に貢献してもらいました。ほかにも「いちご電車」「おもちゃ電車」といった趣向を凝らした列車の運行など、赤字路線の立て直しに知恵を絞りました。

 どうして縁もゆかりもない岡山県外の業績不振の交通事業を買収して再生に取り組むのか。疑問に思う方も多いでしょうね。当初は社内にも異論がありました。

 私は、公共交通の可能性と限界を世の中に訴えたかったんです。わが国では民間が運営するものという意識が強い公共交通ですが、先進国の中で民間に任せっきりにしているのは日本ぐらいのもの。地域住民の足を守るためには、公設民営の仕組みの導入など、行政からの支援が欠かせないというのが私の持論です。

 ただし、何の経営努力や工夫もしないままで赤字路線の支援を求めても、国民の広い理解を得ることはできません。厳しい現実に向き合いながら、どこに限界があるのかを体を張って追い求める必要があります。それで初めて「公共交通の需要はここまで掘り起こせるけれども、それでもなお民間任せでは維持には限界がある」というメッセージを発信できるのです。

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