この記事は日経ビジネス電子版に『産業構造の変革とDX:競争政策が果たす役割とは』(11月15日)として配信した記事を再編集して雑誌『日経ビジネス』12月6日号に掲載するものです。

DX(デジタルトランスフォーメーション)により、政策の「競争観」も大きく変化している。幕末のペリー来航に匹敵するイノベーションの潜在性を、どう産業政策に生かしていくかが日本再興のカギだ。

大橋 弘[Hiroshi Ohashi]
東京大学公共政策大学院院長・大学院経済学研究科教授
米ノースウエスタン大学にて経済学博士号を取得(Ph.D.)。カナダのブリティッシュコロンビア大学経営大学院助教授を経て、2003年に東京大学大学院経済学研究科助教授。20年から現職。経済産業研究所(RIETI)プログラムディレクター、競争政策研究センター(公正取引委員会)主任研究官も務める。

 競争政策が、大きな転換点を迎えている。デジタル化の進展に伴って、AI(人工知能)やビッグデータを通じて様々な産業が融合し、産業構造の新たな転換が予感される。同時に、競争政策がこれまで念頭に置いてきた競争観も大きく変化しつつある。

 DX(デジタルトランスフォーメーション)というイノベーションのインパクトは、幕末開国後の近代日本における交通や通信が果たした役割に匹敵する大きさかもしれない。本稿では、DXと交通・通信が汎用技術として同様の側面をもつことに着目し、産業構造の転換と競争政策への含意について論じてみたい。

 DXのように様々な事業分野に多様な目的で使用できる技術をGPT(General Purpose Technology:汎用的な目的に使える技術)と呼ぶ。しばしば取り上げられる例が、コンピューターや電力である。DXも第1次産業(農林水産業)・第2次産業(製造業)・第3次産業(サービス業)といったすべての産業に影響を及ぼし得る点で、GPTと呼ぶにふさわしいといえるだろう。農業や製造業の現場でも、自動化やシミュレーターを用いたDXが浸透しており、今後も自社の製造工程や匠の技を「見える化」することなどで、さらなる効率化が進むことが期待される。

 GPTは産業構造を大きく変える潜在力がある。とりわけわが国において産業構造を大きく変えたGPTの過去の代表例は鉄道と通信だろう。両技術とも、1854年にペリーが再訪したとき、模型を通じて紹介された技術である。

近代日本におけるGPT

 鉄道や通信が日本社会に浸透する前は、国内市場は局所的な地域経済圏に分割されていた。遠隔地商業が発達してはいたものの、離れた地域経済圏同士の交流には地理的・物理的な制約があった。ヒト・モノの輸送や情報の伝達は、人馬が耐え得る限界という制約があり、地理的制約を超えた自由な経済活動には高い取引費用を要した。

 電信・電話の登場は、遠い地域同士の迅速なコミュニケーションを可能にした。鉄道や汽船の発達は、大量輸送を現実のものとし、取引費用を大きく削減することになった。局所的な経済圏を越えた地域間取引の拡大は、より規模の大きい市場を生み出すことになる。統合された市場には、企業参入が起きてさらなる競争が生まれ、より効率的な市場取引が可能になった(下の図1)。

地域間取引の拡大が、より大きな市場生む
●図1 戦前の会社数と資本金
<span class="fontSizeL">地域間取引の拡大が、より大きな市場生む</span><br />●図1 戦前の会社数と資本金
出所:各種資料を基に大橋弘研究室作成
[画像のクリックで拡大表示]

 輸送スピードが速まり、輸送量が増えるにつれ経済圏は地域を越えてグローバルに拡大し、経済圏が生産地と消費地に分離するようになった。生産・消費に特化する地域が出現することで規模の経済性が働き、巨大な生産地・消費地が誕生した。

 地縁・血縁を基盤にした地域共同体から経済活動が遊離し始め、取引・契約関係も匿名性を帯びるようになった。取引・契約がなされていることを迅速に確認するために、郵便以上に情報を迅速にやり取りできる通信ケーブルに対する需要が高まり、金融や保険などにおいても新たなサービスが求められるようになった。

 また経済活動の場が移り変わるにつれて、職を求めてヒトの移動も活発になり、従来の地縁・血縁を基盤とした職住近接の地域共同体も徐々に溶解するようになった。

 このように鉄道・通信というGPTが促した地域経済圏の統合は、長い期間をかけて近代日本の経済社会の大きな変容につながった。地理的に異なる経済圏の統合は、オーストリアの経済学者ヨーゼフ・シュンペーターのいう「新結合」と捉えることもできる。鉄道・通信は地理的な「新結合」を通じて社会・経済的なイノベーションを促したといえるだろう。

次ページ GPTとしてのDX