より安全な選択肢にそっと背中を押す「ナッジ」。ノーベル賞経済学者のリチャード・セイラー教授らが提唱した。セイラー教授は、善意を装った悪意あるナッジ、「スラッジ」に警戒するよう助言する。
米シカゴ大学経営大学院特別教授

「ナッジ」が最初に世に出たのは2008年。以来、行動経済学に基づくこの概念が注目され、今や世界中の国や組織で活用されています。
リチャード・セイラー氏(以下セイラー氏):共著『実践 行動経済学』が世界各地でベストセラーになったことでナッジという言葉が広まりました。共著者であるキャス・サンスティーン氏(米ハーバード大学法科大学院教授)と私にとって、認知が広がるのは大変ありがたいことです。
私たちの基本的なアプローチは、人々がやりたいと思うことを、より簡単にできる仕組みを設計することです。ナッジは、人々が自分たちの暮らしを良くする選択に導けるように、民間の組織や政府が取り組むべきことです。
「王様は裸だ」と叫び続けた
伝統的な経済学では「人間は合理的で、自分の利益を最大にできるような選択や行動ができる」ことが前提とされてきました。セイラー教授はそれに「ノー」を突きつける形になりました。人間は不合理で、しばしば最適な選択をしないことがあるという考え方は学界ではなかなか認められなかったそうですね。
セイラー氏:アンデルセン童話では、1人の少年だけが「王様は裸だ」と真実を語りました。他のみんなは何も言わず、何も着ていない王様の服を称賛した。とても危険です。歴史上、人々が群集心理に従うことで、非常に悪い結果を招いたことはたくさんあります。時には小さな子供が「ノー」と言い続けなければならない状況があるのです。
私は経済学界でまさに童話の少年のような存在でした。伝統的な経済学者が言うには、人間は非常に合理的で感情的ではなく、とても頭が良い間違えない存在でした。それに対して、私は「いや、人間は(不合理で感情的でよく間違える)ただの人間だ」と指摘したのです。詩人の相田みつをさんが言った「にんげんだもの」なのです。
約40年前、私がそうした論文を書き始めたとき、経済学者たちは私のことを頭がおかしくなったと思ったようで、実に不評でした。自分は童話の少年のようだとよく思ったものです。もしかしたら自分のほうに問題があるのかと考えたりもしました。
ほかの全員が王様の服を褒めていたら、ひょっとして私だけ何か問題があるのだろうかと考えてしまうでしょう? そうでなければ、自分以外の全員に何か問題があるのか、と。認められるまでにとても長い時間がかかりました。
40年の間に経済学は様変わりしました。行動経済学の分野で仕事をしている若い経済学者がたくさんいます。真実を叫ぶ小さな少年が増えたのです。とはいえ、ナッジは行動経済学がカバーする考え方のほんの一部です。現在世界中、何百もの国や都市で(ナッジの社会実装に取り組む)いわゆる「ナッジユニット」が活動しています。あまりに多すぎて、それぞれが何をしているのか私にはもはや把握しきれません。
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