マービーふれあいセンターには、広々とした見事なホールがある。電動式で椅子を移動し、体育館としても使えるようにしてある。

 舞台には西陣織とおぼしき大きな緞帳(どんちょう)があり、デザイン化された遣唐使船が描かれている。吉備真備に対する地元の方々の思いの強さがうかがえる施設である。

 「平成30年7月の豪雨災害の時には、このあたりは5メートルほど浸水しました。あの緞帳も水につかるところでしたが、いち早く上げていたので難を逃れたのです」

 倉敷市の伊東香織市長が説明して下さった。

 この水害の様子はテレビの報道などで知っていたが、井原鉄道井原線の橋脚に描かれた5メートルの浸水レベルの高さを見た時、被害がどれほど甚大だったか実感した。

 普通の民家の屋根まで届く高さである。これでは被災した方々は屋根に上がって救助を待つしかなかっただろう。自衛隊や消防、警察などがボートなどで救助活動にあたり、約2350名を救出したという。

 亡くなられた方51名。全壊、大規模半壊は約5700世帯におよび、災害廃棄物は35万トンにものぼった。これは市内の約2年分のごみの量に相当するというが、 真備町(まびちょう)を車で走っていても被害の爪痕を突き付けられることはあまりない。

歴史と文化が育む力

 わずか3年でここまでの復興を成し遂げたのは、住民の方々と関係各位の並々ならぬ努力があったからだろうが、その象徴と言えるのがマービーふれあいセンターの復旧である。

 そうした底力を発揮させる原動力となったのは、ふるさとの文化や歴史に対する誇り、中でも吉備真備に対する愛情ではないだろうか。

 真備町という町名も吉備真備にちなんだものだし、井原鉄道には彼の名をそのまま冠した駅がある。昭和63年(1988)から平成元年(1989)にかけて、ふるさと創生資金が配られた時、町の人たちはその一部を使って「吉備真備公産湯の井戸」を整備した。

 「真備公ゆかりの地に生まれ育ったのだ。これくらいのことで負けてたまるか」

 そんな気概と誇り、そして団結心が、復興に立ち上がる人々を支えているのではないか。実はそれこそが文化と歴史の持つ力なのである。

 マービーふれあいセンターの2階には、「くらしき吉備真備杯こども棋聖戦」についての展示がある。真備が囲碁を唐から持ち帰ってきたという伝承にちなみ、この地で全国から小学生を集めて囲碁の大会が開かれている。

 囲碁といえば『吉備大臣入唐(きびのおとどにっとう)絵巻』の中に面白いエピソードがある。真備が唐に行った時、唐の官吏たちは真備に恥をかかせようとして囲碁の勝負を挑んだ。そこで真備は相手の黒石を一箇飲み込んで勝とうとする。これに気づいた相手は不正を暴こうと、下剤を飲ませて便を調べることにした。

<span class="fontBold">吉備真備は唐から史書、経書をはじめ、天文暦書、音楽書、さらには弓矢までも日本に持ち帰り、文化や知識を伝える大きな役割を果たした。囲碁については、真備が唐に渡る以前から日本にあったとされるが、真備が持ち帰ったという伝承が残るほど、その功績は多方面に及んだ</span>(イラスト=正子公也)
吉備真備は唐から史書、経書をはじめ、天文暦書、音楽書、さらには弓矢までも日本に持ち帰り、文化や知識を伝える大きな役割を果たした。囲碁については、真備が唐に渡る以前から日本にあったとされるが、真備が持ち帰ったという伝承が残るほど、その功績は多方面に及んだ(イラスト=正子公也)