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 もう40年も前のことだが、トリックスターという言葉が文化人類学などの分野で話題になった。

 神話や物語の中に登場する善と悪、破壊と創造、賢者と愚者の二面性を持った人物で、いたずら好きの道化者として描かれることが多い。

 玄宗皇帝に接する安禄山の言動を見ていると、このトリックスターという解釈が一番的を射ているように思う。身長2メートル、体重200キロを超える巨漢で、ソグド人と突厥人という漢人社会とは異質の社会から登場した。

手練手管で皇帝を操る

<span class="fontBold">玄宗皇帝に巧みに取り入った安禄山は755年に叛乱(安史の乱)を起こし、東都の洛陽(西都は長安)を占領、自らを大燕皇帝と称した。だが、このころから安禄山は病にかかり、757年には次男の安慶緒(あんけいしょ)によって殺された。安史の乱は763年まで続いた</span>(イラスト/正子公也)
玄宗皇帝に巧みに取り入った安禄山は755年に叛乱(安史の乱)を起こし、東都の洛陽(西都は長安)を占領、自らを大燕皇帝と称した。だが、このころから安禄山は病にかかり、757年には次男の安慶緒(あんけいしょ)によって殺された。安史の乱は763年まで続いた(イラスト/正子公也)

 その特異な出自を逆手に取り、道化とごますりによって玄宗に取り入っていく。禄山の心の底には、ソグド人などを胡族とさげすみ、一方的に収奪したり辺境防衛の過酷な仕事を押し付ける漢人たちへの、怒りと反発と敵愾(てきがい)心が渦巻いていたにちがいない。

 しかし彼はそうした本音を押し隠し、6カ国語を自在に操り、人の心理を読み取る特技を駆使して、中国北方の諸州で要職を占め、20万の大軍を動かす実力者にのし上がっていく。

 その彼が楊貴妃の色香に迷って国を傾けた玄宗に取り入り、手練手管で意のままに操って唐を大混乱におとしいれるところが、この時代のたまらない面白さである。

 安禄山が玄宗に正式に対面したのは、天宝元年(742)に平盧節度使に任じられて長安に行った時だと思われる。歳は40。軍人としても男としても脂の乗り切った頃だった。

 玄宗は契丹(きったん)や奚(けい)などの討伐に次々と手柄を立てる禄山を激賞し、今後も朕(ちん)と国家のために励むがよいと言って莫大な褒美(ほうび)を与えた。 禄山は玄宗の前に跪拝(きはい)し、うやうやしく褒美を受け取ってから言上した。

 「去年の秋、営州にイナゴが発生し、苗を喰い荒らしましたので、臣は香を焚いて天を祀り、次のように念じました。『我もし正道からはずれ、君に仕えて忠ならざれば、イナゴをして我が臓腑を喰い尽くさせたまえ。もし正道にたがわず君に仕える誠に偽りがなければ、イナゴをただちに撲滅し、我が祈りに応えられますように』と。すると間もなく北から赤頭の鳥の群が飛来し、またたく間にイナゴを喰い尽くしたではありませんか。何とぞこのことを史書に書き留めてくださいませ」

 それを聞いた玄宗は大いに喜び、以後重用するようになった。イナゴとは唐に仇なす謀叛人のことで、そんな場合には自分が赤頭の鳥となって討伐するという寓意(ぐうい)が込められていたのである。

続きを読む 2/3 楊貴妃の養子になった安禄山

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