異形の男が生まれた。

 彼の母親は子宝に恵まれず、軋犖山(あつらくさん)にいます神に日ごと夜ごとに懐妊を祈った。すると霊験あらたかに身籠り、十月十日を経て正月一日に出産に至った。

 今しも出産するという夜、あたり一面に赤光がきらめき、群れ集まった獣の遠吠えが響きわたり、妖しい星が光芒を放ちながら母親のいるゲルに向かって落ちていった。

 奇怪な出来事が次々と起こるのを見た彼女は、わが子は神の申し子にちがいないと考え、Roxšan(ソグド語で光という意味)と名付けた。後に大唐国に対して叛乱を起こした安禄山の誕生である。

<span class="fontBold">異民族の両親を持ち、巨漢だった安禄山は、貿易の仲介人として活躍した経歴からもうかがえるように、人心掌握に長けていたようだ。仕えていた張守珪の養子となり、また玄宗皇帝と楊貴妃にも「養子」として迎えられたというエピソードも伝えられている</span>(イラスト/正子公也)
異民族の両親を持ち、巨漢だった安禄山は、貿易の仲介人として活躍した経歴からもうかがえるように、人心掌握に長けていたようだ。仕えていた張守珪の養子となり、また玄宗皇帝と楊貴妃にも「養子」として迎えられたというエピソードも伝えられている(イラスト/正子公也)

 父親は康国(サマルカンド)を拠点とするソグド人、母親はアルタイ山脈の西南一帯を発祥の地とする突厥(トッケツ)人(トルコ人の祖と言われている)で、両者とも中央アジアから中国北東部までを股にかけて商いをしたことで知られている。

 玄奘(げんじょう)三蔵は『大唐西域記』の中で「天山山脈の西北に広がるイシク・クル湖西畔の砕葉(スーイアーブ)城、そこから羯霜(ケッシュ)那国あたりまでが窣利(スーリ)、つまりソグドであり、みな突厥に隷属する」と書いている。

 その突厥は鍛鉄を専業とする奴隷部族としてモンゴル系の柔然(じゅうぜん)に支配されていたが、やがて族長の阿史那(あしな)氏にひきいられて独立すると、逆に柔然や鉄勒(てつろく)という強国を屈服させ、ソグドを支配するようになった。

 安禄山の父はソグド人でありながら、阿史那氏の親戚である阿史徳(あしとく)氏の娘と結婚しているのだから、かなりの有力者だったと思われる。

 幼くして父が死ぬと、母は唐に仕えるソグド人将軍である安波注(あんぱちゅう)の兄安延偃(あんえんえん)と再婚した。ところが開元年間(713~)の初期、義父の部族が突厥の内紛に巻き込まれて敗れたために、安波注の息子の安思順(あんしじゅん)らとともに脱出し、一門の伝を頼って唐に逃れた。禄山が義父方の安の姓を名乗るようになったのは、この頃からだという。

 ところが安一門の中に安住できなかったのか、家を飛び出して営州(中国東北部遼寧省)の柳城へ行った。モンゴル北方のステップロードによって東西を結ぶ交易の要地である。

続きを読む 2/3 貿易商として才能を発揮

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