先日、月尾嘉男先生と対談をさせていただいた。その様子は先週の本誌に掲載されたが、ひとつだけ触れていないことがある。

 月尾先生と私は「ざぶん賞」という環境保護の運動に関わっていて、もう15年来の付き合いだということだ。

 「ざぶん賞」は環境について日頃考えていることを、水をキーワードにして小・中学生に作文を書いてもらう活動で、先生が実行委員長、私が作文の選考委員長を務めてきた。

 先生は世界中の海をカヌーで渡ったり、未開の民族を訪ねて彼らの信仰や生活ぶりを取材することによって、現代文明の行き詰まりを打開する手掛かりを探求してこられた。

 いつも手本にしてきた方だが、実は私も20年間の活動によって気づいたことがある。それは環境保護運動は、敬神や尊皇に通じるのではないかということだ。

 「何を大仰な」

 そう思われる方がいるかもしれないが、理由はこうである。日本人は太古の昔から自然には神が宿っていると考えてきた。そうして八百万(やおよろず)の神々から付託(ふたく)されて日本を治めておられるのが天皇だと受け止めてきたのである。

 だから天皇は今でも元日の四方拝(しほうはい)を始めとして、神々に礼を尽くす神事を一年中行っておられる。これはひとえに神々のご加護と国家の平安を願ってのことである。

 ところが今や日本人(に限らないが)は、生活の豊かさと経済の発展を追い求めた揚句、取り返しのつかない環境破壊を引き起こした。

 これは八百万の神々を否定し、ひいては天皇の祈りも否定するということだ。これに対して環境保護運動に立ち上がるのは、日本人が日本人でありつづけるための使命ではないか。そう感じている。

 日本史の変革は、常に天皇や朝廷を中心に起きている。幕末の尊皇攘夷運動が明治維新につながったように、日本人が「環境保護運動は敬神や尊皇の運動である」という意識を持ち、世界の環境保護運動の先頭に立つことで、地球の危機的状況を打開するきっかけになるよう願ってやまない。

続きを読む 2/3 歴史の本質はどこにあるか

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り1908文字 / 全文2956文字

日経ビジネス電子版有料会員になると…

特集、人気コラムなどすべてのコンテンツが読み放題

ウェビナー【日経ビジネスLIVE】にも参加し放題

日経ビジネス最新号、10年分のバックナンバーが読み放題

この記事はシリーズ「故きを温ねて」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。