奸臣・張易之と楊国忠

 以上が一般的に知られている楊国忠の経歴だが、『資治通鑑』には彼は張易之の甥だったので玄宗から国忠という名を賜ったと記されている。意訳すると次の通りである。

 <楊釗は張易之の甥である。易之兄弟の冤罪(えんざい)を晴らすように玄宗皇帝に乞(こ)うた。すると皇帝は中宗(玄宗の伯父)が流罪先から都に呼び戻される時、易之兄弟が房陵郡まで迎えに行った功績に免じ、兄弟の官位や爵位を復し、易之の子に官位を与えた。

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り2100文字 / 全文3209文字

日経ビジネス電子版有料会員になると…

特集、人気コラムなどすべてのコンテンツが読み放題

ウェビナー【日経ビジネスLIVE】にも参加し放題

日経ビジネス最新号、10年分のバックナンバーが読み放題

この記事はシリーズ「故きを温ねて」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。