玄宗皇帝は武恵妃や李林甫の策謀にのせられ、東宮だった李瑛(りえい)と李瑤(りよう)、李琚(りきょ)を殺してしまった。
恵妃が生んだ李瑁(りぼう)を東宮にし、やがては帝位を継がせるためだが、その直後に恵妃が死んだために、李林甫は窮地に立たされることになった。
それでもなお林甫は李瑁を立てようと画策をつづけたが、玄宗はすでにその気を失っていた。寵愛(ちょうあい)していた恵妃の後ろ楯がなければ、李瑁などは第18子という弱い立場でしかない。
しかし事をここまで運んだ以上、急に李瑁はやめたとも言いにくい。それならなぜ3人の息子を殺したのだという批判がまき起こりかねないからだ。
(さて、どうしたものか)
悶々(もんもん)とする玄宗を見て、側近の宦官(かんがん)である高力士が声をかけた。

「陛下、何をお悩みでございますか」
「お前は当家に長く仕えた者ではないか。そんなことも分からんのか」
玄宗は八つ当たり気味に怒鳴りつけた。
「もしや東宮さまを決めかねておられるのでしょうか」
「そうだ」
「どうしてそんなことでお気を煩(わずら)わされるのですか。長子相続がもともとの立て前なのですから、それに従えば異論を唱える者は誰もいないはずでございます」
「そうじゃ、そちの言うとおりじゃ。よくぞ申してくれた」
玄宗は死中に活を見出したように喜び、第3子の李璵(りよ)を東宮にすることにした。長子はすでに亡く、次子の李瑛は謀殺したので、第3子が該当することになったのだった。
高力士は玄宗の間近に仕え、「あの者がいるから安心して眠れる」と言わしめるほど重用された。また安禄山が乱を起こした時、長安から逃れる途中で楊貴妃を手にかけたことはよく知られている。
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