政治の世界には一寸先は闇という言葉がある。昨日まで仲間や同志、支持者だと思ってきた者が、今日には敵方に寝返ることは珍しくない。
それは政治に限らず、あらゆる組織について言えることだろう。私は長年日本の戦国時代を舞台にした小説を書いてきたが、自分と家族、一門や主家を守るために昨日の友を裏切った例は枚挙(まいきょ)にいとまがない。
近年中国を舞台とする小説を書き始めて、事情はまったく同じだと痛感した。むしろ日本より厳しいと感じるのは、次の2つの理由によると思われる。
1つは皇帝の権威と権力が圧倒的に強く、皇帝の意に添わなければどれほど正しい主張をしても失脚したり処刑されたりすること。
もう1つは多民族国家であり、心の底に他民族への不信と蔑みを持っているので、いったん敵対すれば相手を根こそぎ排除しようとすること。
こうした問題を抱えながら、なお皇帝を中心とした理想的な政治を行うにはどうすれば良いのか。その問題を解決するために中国ではさまざまな工夫がなされ、知恵や体験の蓄積を多くの経書や史書に残してきた。
日本でもよく知られている『貞観(じょうがん)政要』は唐の太宗(李世民)と臣下の問答録で、その要点は皇帝は天意に背かぬように身を慎しみ、重臣たちの諌言(かんげん)に真摯に耳を傾けること、重臣たちは皇帝におもねることなく正しいと信じたことは命を賭して諌言することである。
しかし裏返してこれを見れば、中国においては太宗のような名君はまれであり、『貞観政要』の理想とは相反する皇帝や重臣が多かったということだ。
現在、日本経済新聞朝刊で連載させていただいている『ふりさけ見れば』の時代もそうだった。「開元の治」で名君ぶりを示した玄宗皇帝も、50歳を過ぎたころから政治への興味を失い、やがて息子の李瑁(りぼう)の妻だった楊玉環(ようぎょくかん)(楊貴妃)にのめり込んで政治をかえりみなくなる。
すると次第に政権のタガがゆるみ、諌言する廉直(れんちょく)の士は遠ざけられ、皇帝におもねり、取り入り、ライバルを蹴落とす業(わざ)に長(た)けた者が台頭してくるようになる。
しかもこの争いが実に面白い。中国の歴史は儒教的な偉人や善人に焦点を当てて語られることが多いが、善人と悪人の争いに焦点を当ててみれば、今日にも通用する無数の知恵を得られるのではないか。
私はふとそう思い立ち、『資治通(しじつがん)鑑』の記述を元にして、名宰相と評される張九齢と、「口に蜜あり腹に剣あり」と恐れられた李林甫(りりんぽ)の対立を中心軸にして、唐王朝の権力争いの様相を見てみることにした。
以後、しばらくお付き合いいただければ幸いである。
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