安倍文殊院の正門は西側で、丹塗(にぬ)りの表山門と下馬を求める石柱がある。

 参道を東へ進むと文殊池があり、金閣浮御堂(うきみどう)が建っている。左に折れて直進した所が文殊院西古墳だ。円墳とおぼしき盛土の南側に、大きな石で組まれた石室の入口がある。横穴式石室の羨道(せんどう)を奥に進むと、遺体を安置する玄室になっている。

 羨道の長さは約7.3メートル、玄室の規模は長さ5.1メートル、幅2.9メートル、高さ2.7メートルである。被葬者は大化5年(649)に他界した阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)と考えられているが、驚くのは石組みの精巧さである。

 玄室は研磨された花崗(かこう)岩が5段に積み上げられ、天井には巨大な一枚岩を架している。花崗岩は長方形の完璧な平面で、紙一枚の隙間もなく組み合わされている。

 まるでエジプトのピラミッドかマチュピチュの天空の遺跡のような技術の高さで、日本の横穴式石室では他に類を見ない造りである。

 日本の城、中でも石垣に興味のある方は、是非ともこの古墳を訪ねていただきたい。というのは、石垣は自然石を使った野面(のづら)積みから、半加工の打込み接ぎ、方形の石を密着させた切込み接ぎの順に進化してきたと言われている。

 切込み接ぎが多用されるのは江戸初期だというのが通説だが、西古墳ではそれより950年ちかく前にこれだけの石室を築いているのである。

 初めてこの石室を見た時、私は茫然(ぼうぜん)としたものだ。築いたのは誰で、どんな技術を持っていたのか。そして彼らはいったいどこへ消えてしまったのか。

(あるいはピラミッドの技術を持った人たちが、黒潮に乗って渡来し、太平洋を渡って南米に行ったのかもしれない)

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