ラジオ通販での成功を受けてテレビ通販にも進出。通販専門チャンネルの開設に至った。佐世保に自分たちのスタジオをつくり、手探りで番組制作をスタート。その苦労が成功への道を開いた。地上デジタル放送への移行に伴うテレビ特需に沸いたが、今度は厳しい反動減が待っていた。

<span class="fontBold">髙田 明 [たかた・あきら]氏</span><br>1948年長崎県平戸市生まれ。大学卒業後、機械メーカーを経て、父のカメラ店に入社。86年に分離・独立し、たかたを設立。99年にジャパネットたかたに社名変更。自ら通信販売で商品を紹介し、通販大手に成長させた。2015年に社長を退任し、経営を離れる。個人会社のA and Live(エー・アンド・ライブ)を設立した。(写真=菅 敏一)
髙田 明 [たかた・あきら]氏
1948年長崎県平戸市生まれ。大学卒業後、機械メーカーを経て、父のカメラ店に入社。86年に分離・独立し、たかたを設立。99年にジャパネットたかたに社名変更。自ら通信販売で商品を紹介し、通販大手に成長させた。2015年に社長を退任し、経営を離れる。個人会社のA and Live(エー・アンド・ライブ)を設立した。(写真=菅 敏一)

 「佐世保の本社にスタジオをつくろう」。社名を「たかた」から「ジャパネットたかた」に変更した翌年、私はこう決心しました。1994年にテレビ通販に進出してから6年ほどたったころです。

 当時は福岡の制作会社で番組づくりをしていました。社員20~30人が番組で紹介する商品を持って朝早く佐世保を出発し、福岡での撮影を終えて夜遅くに帰ってくる。それを毎週のように繰り返していたのです。自社のスタジオを持ちたいという思いが募っていました。

 決断のきっかけとなったのは、衛星放送の「スカパー!」にジャパネットの通販専門チャンネルを開設すると決まったことです。ただし、放送開始の2001年3月まであと半年という差し迫ったタイミングでした。社内外から「さすがにそれは難しい」「そんなに急に放送ができるはずがない」と心配されました。そんな状況でも、私は「どうにかなるはずだ」と腹をくくってしまうんですよね。決心した通り、数十億円を投じてスタジオの建設に乗り出しました。

続きを読む 2/3 「自分たちだけでは無理です」

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この記事はシリーズ「ジャパネット創業者・髙田明氏の「不屈の路程」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。