テレビ通販に参入して10年。知名度も上がり、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を続けていた。そんなときに訪れた1人の記者が持っていたのは、ジャパネットの顧客情報だった。「このままでは営業は続けられない」。自主的な営業停止は49日間にも及んだ。
![<span class="fontBold">髙田 明[たかた・あきら]氏<br>ジャパネットたかた 創業者</span><br>1948年長崎県平戸市生まれ。大学卒業後、機械メーカーを経て、父のカメラ店に入社。86年に分離・独立し、たかたを設立。99年にジャパネットたかたに社名変更。自ら通信販売で商品を紹介し、通販大手に成長させた。2015年に社長を退任し、経営を離れる。個人会社のA and Live(エー・アンド・ライブ)を設立した。(写真=菅 敏一)](https://cdn-business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00146/092700001/p1.jpg?__scale=w:400,h:518&_sh=0220460ba0)
ジャパネットたかた 創業者
1948年長崎県平戸市生まれ。大学卒業後、機械メーカーを経て、父のカメラ店に入社。86年に分離・独立し、たかたを設立。99年にジャパネットたかたに社名変更。自ら通信販売で商品を紹介し、通販大手に成長させた。2015年に社長を退任し、経営を離れる。個人会社のA and Live(エー・アンド・ライブ)を設立した。(写真=菅 敏一)
テレビの通販番組などを手掛けるジャパネットたかた(現在はジャパネットホールディングス傘下の中核子会社)の経営を離れてから6年になります。創業経営者である私に代わって、長男の髙田旭人が2015年に社長に就任しました。
私はテレビ通販番組に20年以上出演しましたから、画面を通じて名前や顔、声を知ってくださった方も多いと思います。社長退任後も区切りをつけ1年間だけテレビ通販番組の出演を続けましたが、それも16年まで。「しゃべり続けた人生」に悔いはありません。
その私が今、ジャパネットの経営とどのように関わっているのか。実は、社長を交代した後は経営に一切口を出していないんです。
もちろん、時には「こうした方がいいな」と思うこともありますよ。しかし、私が何かを言えば迷いが出てしまうでしょう。息子とはジャパネットで十数年間も一緒に働きましたし、信用しています。だから、経営について何も言わないようにしています。
ジャパネットを離れた年に立ち上げたA and Live(エーアンドライブ)という私の個人会社も、公私混同がない独立した形で運営しています。オフィスこそ長崎県佐世保市のジャパネットの本社内にありますが、その家賃として適正な額をジャパネットにきちんと支払っています。
そもそも息子自身が「あくまでも自分の頭で考え、自分で学んでいくのが社長業で重要なことだ」と言っています。新事業を始めるような場合でも私に聞いたりせずに、自分でどんどん進めていますよ。私は「ただ見ているだけでいい」と思っていますし、言いたいことを我慢している意識はまったくありませんね。
私が後にジャパネットとなる「たかた」を設立したのは1986年。35年前のことになります。父が長崎県平戸市で経営していたカメラ店「カメラのたかた」から分離独立する形で立ち上げました。
佐世保のカメラ店からスタートし、ラジオ通販、テレビ通販に進出。全国的な通販会社になりましたが、その路程では本当にいろいろな出来事がありました。
「顧客情報が流出している」
その中で、最も苦い記憶として思い出されるのが、2004年に発覚した顧客情報の流出です。個人情報保護法が成立したのはその前年。翌年から全面的に施行されるというタイミングでした。
始まりはある新聞記者の訪問でした。「顧客情報が流出しているようだ。確認してほしい」と50人分ほどのリストを持って照会にやってきたのです。調べてみたところ、ジャパネットのデータであることが判明。それを報じる記事が新聞の朝刊に掲載された日、出社した私を新聞社やテレビ局の記者など40~50人が待ち構えていました。
その年はジャパネットが1994年にテレビ通販に進出してから10年の節目。10周年の記念番組を間近に控えていたタイミングで顧客情報の流出が発覚したのです。記念番組で販売する商品の仕入れには数十億円を投じていましたし、放送局の番組枠を数億円もかけて押さえていました。タレントを活用した番組づくりもほぼ終わっており、あとは放送で流すだけというところまで来ていたんです。そのお祭りムードが暗転しました。
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