経済が停滞する中でコロナ禍を迎えた日本には、将来の不透明感が漂う。歴史を大胆に読み説く作家・安部龍太郎氏と、幅広い視点で社会を捉える研究者の月尾嘉男氏は、今こそ歴史を振り返り、この国をつくり上げてきた人や教えを知ることが重要と説く。

<span class="fontBold fontSizeL textColBlack">左:月尾嘉男氏</span><br>1942年愛知県生まれ。工学博士。名古屋大学工学部教授、東京大学工学部教授、同大学院新領域創成科学研究科教授、総務省総務審議官などを経て、東京大学名誉教授。『凛々たる人生』など著書多数。<br><span class="fontBold fontSizeL textColBlack">右:安部龍太郎氏</span><br>1955年福岡県生まれ。90年『血の日本史』でデビュー。『黄金海流』『関ヶ原連判状』などの重厚かつサスペンスフルな時代小説を連打。2013年『等伯』で直木賞を受賞。日本経済新聞で小説『ふりさけ見れば』を連載中。<br>(写真=2点:吉成 大輔)
左:月尾嘉男氏
1942年愛知県生まれ。工学博士。名古屋大学工学部教授、東京大学工学部教授、同大学院新領域創成科学研究科教授、総務省総務審議官などを経て、東京大学名誉教授。『凛々たる人生』など著書多数。
右:安部龍太郎氏
1955年福岡県生まれ。90年『血の日本史』でデビュー。『黄金海流』『関ヶ原連判状』などの重厚かつサスペンスフルな時代小説を連打。2013年『等伯』で直木賞を受賞。日本経済新聞で小説『ふりさけ見れば』を連載中。
(写真=2点:吉成 大輔)

新たな時代に適応できない日本

安部龍太郎氏(以下、安部氏):月尾先生はご著書などで、明治維新以来、日本を支えてきたシステムが1980年代にピークを迎え、1990年代に終わりを迎えたと指摘しておられます。これは非常に優れた見方です。歴史学者を含め一般的には、1945年の第2次世界大戦の敗戦で明治体制が崩壊したと解釈しています。けれども、月尾先生がおっしゃる通り、敗戦後の日本の国づくりの根幹には、明治政府が示した工業社会の方針がそのまま引き継がれていました。

月尾嘉男氏(以下、月尾氏):日本にとって非常に幸運だったのは、明治維新から1990年くらいまで120年ほど続いた工業社会に、非常にうまく適応できたことです。ところが、そのあたりを境に情勢が一気に変わりました。1993年にクリントン大統領とゴア副大統領が情報社会をつくるという政策を掲げ、日本もNTTはじめ情報社会を新たにつくると発表しました。それがちょうど日本が落ち目になった時期の最初です。一変した社会の仕組みに対応が遅れ、現在のような状態になったと思います。

安部氏:月尾先生は、工業社会への「過剰適応」が新たな変化に対応できない一つの原因になっているとも指摘されています。過剰適応を生んだ教育システム、一極主義的な社会構造というものが基本的に問題だと。先生のこの見方は、いまだ定まっていない明治維新をどう評価するか、長所と短所を捉え直すきっかけを与えてくれると思っています。

月尾氏:明治時代が始まって以来、日本では工業社会に合わせる政策が採られてきました。典型的なのは教育です。それまで寺子屋や藩校など、各地に異なる教育システムがあったのですが、国定教科書を用いて全国一律の教育をしてきました。

 この画一性を追求し続けてきたことが大成功につながったわけです。つまり120年間の工業社会では「同じ」であることに価値があったのです。同じものを大量に作っていけば価値が増えました。しかし情報は違います。1番目の情報には価値がありますが、2番目以下は同じものでは価値がありません。つまり社会の根底が変わった。その途端に日本のシステムが通用しなくなった。現在は、そういう状態ではないかと考えます。

ダイアーが見た“武士道”精神

安部氏:江戸時代の政治体制は持続可能な社会で、地方分権と農本主義を基本にして、しかも公地公民制でいわば社会主義のような体制です。僕はそのことが260年の平和をもたらした原因であると思っていますが、それでは列強と対峙できない状況になり、明治維新が起こりました。

 明治のシステムが行き詰まり、変化が必要な今こそ、江戸幕府から明治政府の体制は何がどう変わったのか、それが現代社会にどう影響を及ぼしているかをしっかり分析すること、さらに江戸幕府の体制に学ぶことが大切だと思うのです。そこに今の日本の状況を打開する鍵があるんじゃないかと。

月尾氏:重要な示唆を与えてくれたのがヘンリー・ダイアーだと思います。日本の工業化の成功に貢献した大恩人と言える人物です。

<span class="fontBold">ヘンリー・ダイアー(1848~1918年)</span><br>スコットランド出身。英国式技術教育を目指した明治政府が招へいした。工部大学校で指導にあたり、のちの近代産業の基礎を構築する人物を数多く輩出した。帰国後に『大日本』を出版。(胸像=ケイト・トムソン作、東京大学・列品館所蔵)(写真=吉成 大輔)
ヘンリー・ダイアー(1848~1918年)
スコットランド出身。英国式技術教育を目指した明治政府が招へいした。工部大学校で指導にあたり、のちの近代産業の基礎を構築する人物を数多く輩出した。帰国後に『大日本』を出版。(胸像=ケイト・トムソン作、東京大学・列品館所蔵)(写真=吉成 大輔)

 明治になり、伊藤博文と山尾庸三が中心となって、日本で工業人材を育てなければいけないと工部大学校をつくりました。そこで、工学分野で当時世界最高だったスコットランドのグラスゴー大学に教師の派遣を依頼したところ、学長が推薦したのがダイアーでした。工部大学校は彼の教えのもと数多くの人材を輩出しました。

 その後、帰国したダイアーは、1904年、『大日本 東洋の英国』という、百科事典のように厚い本を出したのですが、その中で、日本の強さ、素晴らしさはその精神性にあると書いています。新渡戸稲造の『武士道』(「Bushido: The Soul of Japan」)を引用し、「物質資源の開発や国富の増進が明治維新という一大事業を推進する動機となったわけではない。ましてや西洋の習慣をやみくもに模倣しようとしているのでもない。日米修好通商条約をはじめとする日本に関税自主権も裁判権もない不平等条約を徳川幕府が結んでしまって、日本は世界から見下されている。日本の名誉を取り戻すという思いこそが動機だ」と著しています。

 つまり、日本人は名誉を重んじる国民だということです。それが今、失われていることを日本人は直視すべきです。

安部氏:僕は武士道が生まれた背景には、2つの要因があると思います。武士道は江戸時代に生まれましたが、そのよって立つところの一つは「尊皇」です。つまり江戸幕府は、天皇からこの国の統治権を預かって、それを諸大名に分散して委託している、いわゆる「預治思想」で運営していたのです。さらに諸大名は各家臣たちに分散して委託しているので、一番下の統治者である武士も一番上の委託者である天皇と、実は真っすぐ結び付いているという考え方です。統治権は天皇から預かっているのだから、少しも過ちがあってはならないという自己規律が強かった。

 もう一つは朱子学です。儒教には、統治者の心得というものがあります。臣下である官僚たちは皇帝から天下の統治権を預かっている、だから私欲があってはならないという、非常に倫理観の高い教えです。この2本柱によって武士たちは教育されていたわけです。武士ですから当然、武人としても強くなければいけない。社会のため、領民のために尽くす責任があるという考え方をたたき込まれました。

続きを読む 2/3 日露戦争と満州事変の“断絶”

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