平井氏の初の著書『ソニー再生』を再構成し、ソニーグループの復活の道のりを振り返る連載の最終回。同社のターンアラウンドを実現した平井氏は社長兼CEOを次世代に託すことを決断する。ソニーから「卒業」した平井氏は子供の貧困の解消という大きな目標に向かって歩み続けている。

<span class="fontBold">平井一夫[Kazuo Hirai]</span><br>ソニーグループ シニアアドバイザー。1960年東京生まれ。84年国際基督教大学(ICU)卒、CBS・ソニー入社。2006年ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCEI)社長。09年ソニーEVP、11年副社長、12年社長兼CEO、18年会長。19年から現職。(写真=的野 弘路)
平井一夫[Kazuo Hirai]
ソニーグループ シニアアドバイザー。1960年東京生まれ。84年国際基督教大学(ICU)卒、CBS・ソニー入社。2006年ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCEI)社長。09年ソニーEVP、11年副社長、12年社長兼CEO、18年会長。19年から現職。(写真=的野 弘路)

 テクノロジーに関わる会社の1年は毎年、年明け早々に米ラスベガスで開かれるCESで始まる。私も毎年、ソニーの最高経営責任者(CEO)として参加し、ソニーが目指すべきビジョンやサービス、新製品の数々を壇上からアピールしてきた。

 2017年は1月5日の開幕に先立ち、我々は4日に記者会見を開いた。年末年始は家族が住むサンフランシスコ郊外で過ごすので、ラスベガスまでは自宅近くの空港から小一時間程度をかけて飛行機で移動する。その短いフライトでのことだ。

 同乗したCEO室長の井藤安博さんが今後の経営方針について話を振ってきた時に、私は彼にこう告げた。

 「ちょっと待って。実はずっと考えていたことなんだけどさ。俺もそろそろ潮時かなと思っていてね」

 あまりにも予想外だったのか、井藤さんは言葉を失っていた。

 この時点で、私は社長兼CEOに指名されて5年弱だった。私は当時、56歳。社長を退くには年齢的には早いかもしれない。だが、誰かにバトンを託すなら今しかないと考えるようになっていた。

 実際にやってみて分かったのだが、やはり社長というのは激務である。私は現場に足を運ぶことを何より重視してきたから、負担は大きかったと思う。

 それに、社長として下す判断の一つひとつにはとんでもなく大きな重圧がかかるものだ。取引先やその家族まで含めれば何十万、何百万という人たちの生活を左右しかねないことを、決断しなければならないのが社長なのだ。

 「120%の力でアクセルを踏み続けることができるのか」。退任を決意する前には、何度も自分に対してこう問いかけた。120%の力を出していないリーダーがいる会社になってしまっては、社員たちに申し訳が立たない。

 ソニーの中期経営計画は3年単位で回っていた。この時点で次の経営計画がスタートするまで残り1年。延長すればあと4年となる。その間、本当に120%の力を注ぎ続けることができるのか……。

社長の判断は多くの人の生活を左右、120%の力を注ぎ続けることができるか

「オートパイロット」の感覚

 リーダーにとって、次の世代にバトンを託すのも大事な仕事だ。私がそのバトンを受け継いだ12年頃と比べ状況は大きく変わった。ターンアラウンドはほぼ実現し、ソニーは確実に成長のステージへと動き始めていた。

 とはいえ、経営改革に終わりはない。私があれこれと理由をつけて居座ってしまえば、誰も止められなくなってしまう。そうなれば次の人たちがリーダーとなるチャンスの芽を摘んでしまうことになる。それはやってはいけない。

 さらに個人的なことを言えば、ターンアラウンドの仕事が一段落して業績も目に見えて回復してきた頃に、「オートパイロット状態」の感覚に陥ってしまったのだ。

 思えばこれが3度目だ。私は会社員人生を通じて3度のターンアラウンドを任されてきた。幸いにも素晴らしい仲間たちに恵まれ、いずれも成果を出すことができたと思う。

続きを読む 2/3 退任後は一切口を出さず

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り3104文字 / 全文4789文字

日経ビジネス電子版有料会員になると…

特集、人気コラムなどすべてのコンテンツが読み放題

ウェビナー【日経ビジネスLIVE】にも参加し放題

日経ビジネス最新号、10年分のバックナンバーが読み放題

この記事はシリーズ「平井一夫氏が振り返るソニー再生」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。