「仕事が嫌になったのか」。52歳での社長交代には否定的な見方をする人も多かった。内に秘めていたのは、カインズだけでなくグループ全体の発展に力を尽くしたいという思いだ。人が「創る」活動を支える企業群のさらなる飛躍を誓う。

<span class="fontBold">土屋 裕雅 [つちや・ひろまさ]氏<br />カインズ会長</span><br />1966年、ベイシアグループ創業者・土屋嘉雄氏の長男として群馬県伊勢崎市に生まれる。90年早稲田大学商学部卒業後、野村証券入社。96年いせや(現ベイシア)入社、98年にカインズ入社。2002年4月に社長に就任し、SPA(製造小売り)化を推進。19年3月、52歳で会長に。21年2月期の売上高は業界首位の4854億円。(写真=古立 康三)
土屋 裕雅 [つちや・ひろまさ]氏
カインズ会長

1966年、ベイシアグループ創業者・土屋嘉雄氏の長男として群馬県伊勢崎市に生まれる。90年早稲田大学商学部卒業後、野村証券入社。96年いせや(現ベイシア)入社、98年にカインズ入社。2002年4月に社長に就任し、SPA(製造小売り)化を推進。19年3月、52歳で会長に。21年2月期の売上高は業界首位の4854億円。(写真=古立 康三)

 「もう、商売に興味がなくなったんじゃないか」と言う人もいれば、「何か悪いことをしたんじゃないか」と疑ってかかる人もいましたね。2019年、高家正行さんにカインズの社長を託し、会長に就任したときのことです。

 当時の僕は52歳。もちろん自分なりの狙いがあっての決断でした。ところが、その年齢での社長退任は対外的にもインパクトがあったようで、否定的な見方をする人が多かった。しまいには父親(土屋嘉雄氏)にまで「おまえ、仕事が嫌になったんか」と言われる始末です。まったく、どこまで信頼されてないんだか(笑)。

 このバトンタッチのきっかけは16年に遡ります。経営者が集まるイベントに出席したら、ミスミグループ本社の社長を務めた経験を持つ高家さんが隣に座っていたんです。もともと僕はミスミの経営にすごく興味を持っていて、プロ経営者として知られる三枝匡さんの後に社長を務めたのだから、高家さんは相当な人なんだろうと思っていました。せっかくの機会を逃してはならないと思い、「一度遊びに来てもらえませんか」と声をかけたのです。

「ぜひうちでやってください」

<span class="fontBold">土屋裕雅氏(右)は52歳のときに、ミスミグループ本社で社長を務めた経験を持つ高家正行氏(左)にカインズの社長を託した</span>
土屋裕雅氏(右)は52歳のときに、ミスミグループ本社で社長を務めた経験を持つ高家正行氏(左)にカインズの社長を託した

 さっそく埼玉県本庄市の本部に来てくれた高家さんと、経営についていろいろな意見交換をしました。その場で僕は「ぜひうちで実際にやってください」とお願いしたのです。

 快諾してくれた高家さんは、最初は何の肩書もない「たまに来てくれる人」だったんです。すると、来てもらう頻度が月1回から週1回、週3回となし崩し的に増えてしまった。高家さんを頼りにする社員も増えてきたので、17年に副社長に就任してもらいました。

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り1765文字 / 全文2559文字

日経ビジネス電子版有料会員になると…

特集、人気コラムなどすべてのコンテンツが読み放題

ウェビナー【日経ビジネスLIVE】にも参加し放題

日経ビジネス最新号、10年分のバックナンバーが読み放題

この記事はシリーズ「カインズ・土屋裕雅会長の「不屈の路程」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。