新卒から6年間を過ごした証券会社を後にして、父が創業した会社に入った。プレーヤーとしてやりたいという希望がかなったものの、理想と現実の違いに打ちのめされる。そんなときに門をたたいた研究団体で、後に「師」と仰ぐことになる人物と出会う。
![<span class="fontBold">土屋 裕雅 [つちや・ひろまさ]氏<br />カインズ会長</span><br />1966年、ベイシアグループ創業者・土屋嘉雄氏の長男として群馬県伊勢崎市に生まれる。90年早稲田大学商学部卒業後、野村証券入社。96年いせや(現ベイシア)入社、98年にカインズ入社。2002年4月に社長に就任し、SPA(製造小売り)化を推進。19年3月、52歳で会長に。21年2月期の売上高は業界首位の4854億円。(写真=古立 康三)](https://cdn-business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00143/090600003/pf.jpg?__scale=w:500,h:375&_sh=04307601a0)
カインズ会長
1966年、ベイシアグループ創業者・土屋嘉雄氏の長男として群馬県伊勢崎市に生まれる。90年早稲田大学商学部卒業後、野村証券入社。96年いせや(現ベイシア)入社、98年にカインズ入社。2002年4月に社長に就任し、SPA(製造小売り)化を推進。19年3月、52歳で会長に。21年2月期の売上高は業界首位の4854億円。(写真=古立 康三)
あれは今振り返っても、自分の人生で一番さえない時期でした。
父からの「帰ってこないか」という話を聞いて野村証券を辞めたのは1996年。地元の群馬県に帰った僕はいせや(現ベイシア)に入社し、まずはアイシーカーゴというグループの物流会社に配属されました。流通の裏側を見るのは新鮮で楽しかったんですが、その後、コンビニエンスストアのセーブオンに入りました。今はローソンのメガフランチャイジーですが、当時はセーブオンの看板で多店舗展開していました。
事業会社でプレーヤーになりたいと思って帰ってきたわけですから、セーブオンでは「やっとやりたいことができる」と張り切っていたんです。途中から部下も2人つきました。ところが、打つ手打つ手が空回り。あまり芯を食っていない感触ばかりでした。結局、「知っていることとできることは違う」ということを思い知らされました。
苦し紛れに、グループ全体のコストを下げようとしたこともあります。例えばセーブオンでもベイシアでもカインズでも売っている電池をまとめて仕入れたら値段が下がるんじゃないか、と。やってみたら、確かに下がりました。でも「それで?」となってしまった。やらないよりはいいけれど、そのタイミングで必死にやる必要はなかった。
本来はマーケットを見て、求められる方向性を考えながらやり方を変えていくべきです。でも、その当時は何も浮かばなくて……。まあ、本当にさえなかったですね。セーブオン自体も業績が横ばいで、あまりさえなかったんですけれども。
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