47歳で社長に就任した後も、繊維製品の一貫生産体制の実現という夢を追い続けた。カネボウの繊維事業買収というチャンスを前に、業界の重鎮からの警告にもひるまなかった。座右の銘とする「流汗悟道」の言葉通りに汗を流し続けたことで会社を大きく変貌させた。

<span class="fontBold">川田達男[かわだ・たつお]氏<br>セーレン会長兼CEO(最高経営責任者)</span><br>1940年生まれ。62年明治大学経営学部卒業、福井精練加工(現セーレン)入社。70年代に自動車メーカーとの取引拡大に貢献。87年には経営が悪化したセーレンの社長に47歳で抜てきされる。社内改革を進め、2003年に社長兼COO(最高執行責任者)に就任。05年にはカネボウの繊維事業を買収してKBセーレンを設立する。14年から現職。(写真=山岸 政仁)
川田達男[かわだ・たつお]氏
セーレン会長兼CEO(最高経営責任者)

1940年生まれ。62年明治大学経営学部卒業、福井精練加工(現セーレン)入社。70年代に自動車メーカーとの取引拡大に貢献。87年には経営が悪化したセーレンの社長に47歳で抜てきされる。社内改革を進め、2003年に社長兼COO(最高執行責任者)に就任。05年にはカネボウの繊維事業を買収してKBセーレンを設立する。14年から現職。(写真=山岸 政仁)

 社長に就任した1987年度のセーレンの売上高は504億円でしたが、そのうち45%が自動車内装材事業。もとの主力事業だった衣料向け染色加工は受注減に苦しんでいました。かつて自動車という産業を見つけたように、次の成長産業を取り込まなければ会社の成長はありません。

 当時の私は47歳。役員の中では年次が一番下で、今までの上司が部下になりました。元上司に丁寧語で厳しいことを言わなければならないこともありました。皆さん最初は目を白黒させていましたよ。それでも、私が示した経営方針を比較的すんなりと受け入れてくれました。

 社長の仕事は椅子に座って決裁するだけに限りません。入社直後の工場勤務を通じて、現場の大切さは身に染みて理解しています。月曜日に大阪の自宅を出て大阪、福井、名古屋、東京と現場を巡回し、週末に帰宅する生活を続けました。

 工場では、現場の社員の手が空いたタイミングで経営方針を語りました。誰もが夢や希望を持って働ける会社に変革するために、社員一人ひとりの意識を変える狙いでした。最初に社員に示した行動指針は「のびのび(自主性)、いきいき(責任感)、ぴちぴち(使命感)」。誰でも分かる単純な内容にして、具体的に「ボーナス100万円」と示したりもしました。

 もちろん、行動変容は一朝一夕には起こりません。毎年のように行動指針をつくり、社員に伝えて回りました。バブル崩壊後に業績が落ち込んだ95年には、「Do or Die(命がけでやろう)」という指針にしましたね。

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この記事はシリーズ「セーレン・川田達男会長の「不屈の路程」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。