新製品開発の一環で立ち上げた合成繊維のカーシートがヒットして事業が急拡大。取引先から3倍の増産要請を受け、自社で一貫生産できる工場をわずか4カ月で整備した。傍流を歩んだ異端者は新事業を創出した立役者として、47歳で社長に抜てきされた。

<span class="fontBold">川田達男 [かわだ・たつお]</span><br> 1940年生まれ。62年明治大学経営学部卒業、福井精練加工(現セーレン)入社。70年代に自動車メーカーとの取引拡大に貢献。87年には経営が悪化したセーレンの社長に47歳で抜てきされる。社内改革を進め、2003年に社長兼COO(最高執行責任者)に就任。05年にはカネボウの繊維事業を買収してKBセーレンを設立する。14年から現職。(写真=山岸 政仁)
川田達男 [かわだ・たつお]
1940年生まれ。62年明治大学経営学部卒業、福井精練加工(現セーレン)入社。70年代に自動車メーカーとの取引拡大に貢献。87年には経営が悪化したセーレンの社長に47歳で抜てきされる。社内改革を進め、2003年に社長兼COO(最高執行責任者)に就任。05年にはカネボウの繊維事業を買収してKBセーレンを設立する。14年から現職。(写真=山岸 政仁)

 新規事業として立ち上がった自動車内装材事業は、カーシートのヒットを受けて急拡大しました。カーシートを一貫生産する「セーレンケーピー」を1985年に設立し、私が初代社長に就任したと前回お話ししましたが、実はこの準備も一筋縄ではいきませんでした。

 84年3月、私は出張先の米国のホテルで国際電話を受けました。「発注量を3倍に拡大したいとの連絡が入りました!」。興奮気味に部下が伝えてきたのは、ある自動車メーカーからの増産要請です。喜ばしいはずの話ですが、私は即答できませんでした。希望の納入開始時期はその年の7月。わずか4カ月強しか猶予がなかったからです。

 当時のセーレンはまだ染色専業で、生地を製造する機能はありませんでした。増産するには、外部の編立(あみたて)会社に設備を増強してもらわなければなりません。このとき頭をよぎったのが、同業他社が自動車内装材に向けた投資計画を進めているという話。かねて自動車メーカーからも「原糸・編立・染色加工の一貫生産体制を実現してほしい」との要望を受けていました。

 千載一遇のチャンスと捉えるべきか、大きすぎるリスクなのか。ホテルの部屋で一晩悩みました。

 「生き残りをかけて生産体制を再構築すべきだ」。そう決心した私は部下に折り返し、「生地の生産から染色まで全部うちでやる。『分かりました』と返事をしてくれ」と伝えました。そして出張予定を変更し、急きょ日本に戻ったのです。帰国後すぐの常務会で、私はドイツ製の編み機を導入して編立・染色加工の一貫生産に乗り出す提案をしました。

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この記事はシリーズ「セーレン・川田達男会長の「不屈の路程」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。