母と弟が起こした“クーデター”を乗り越え、顧客第一の営業を徹底していった。1994年に株式の店頭登録を果たし、子会社9社を立て続けに設立するも、業績不振に陥る。もがき苦しむ中、2人の人物との出会いが運命を変えた。

<span class="fontBold">野島廣司 [のじま・ひろし]氏</span><br> 1951年神奈川県横浜市生まれ。73年に中央大学商学部を卒業し、野島電気商会(現・ノジマ)に入社。当時社員数2人だった会社を立て直し、連結売上高5000億円超の企業に成長させた。94年から社長を務め、2006年に退任したが翌年から社長に復帰した。国内外881店(フランチャイズチェーン含む)を展開している。70歳。(写真=北山 宏一)
野島廣司 [のじま・ひろし]氏
1951年神奈川県横浜市生まれ。73年に中央大学商学部を卒業し、野島電気商会(現・ノジマ)に入社。当時社員数2人だった会社を立て直し、連結売上高5000億円超の企業に成長させた。94年から社長を務め、2006年に退任したが翌年から社長に復帰した。国内外881店(フランチャイズチェーン含む)を展開している。70歳。(写真=北山 宏一)

 母・弟との対立を経て、一度奪われた経営の実権を取り戻したことは前回お話ししました。それからノジマでは、「お客様第一のコンサルティング営業」という僕が大事にしてきたやり方を徹底していきました。

 僕には成功体験があったんです。1973年に入社したばかりの僕は、スピーカーやアンプといったコンポーネントオーディオの高級品を扱う専門の売り場を新設する大胆な改装を行い、業績を大きく伸ばしました。その経験から、お客様のニーズに応じた製品を提案し、喜んで買ってもらうというコンサルティング営業の大切さを身に染みて感じていたのです。

 店に毎日来ていた近所の中学生には、店内で音の聞き比べをしてもらったり、自分で操作してもらったりして接しました。あるとき、その男の子がお父さんと来店しました。知人の店で買おうというお父さんに、その子が「この店員さんからじゃないと買わない」と言ってくれたのはうれしかったですね。

 視察に来ていた音響メーカー担当者から「これほど熱心に接客する店は見たことがない」と言われたこともあります。その担当者は「特別に卸値を下げましょう」と言って、仕入れ価格を1~2%ほど安くしてくれました。真心を込めて接客することがメーカーからの信頼にもつながるのだと感じた瞬間でした。ノジマは徐々に業績が上向き、本拠地の神奈川県のみならず東京などにも進出し、新業態店も出しました。

<span class="fontBold">新業態のパソコンアウトレット店「PC-BUYKING」のオープン準備での1コマ(一番右が野島社長、1994年)</span>
新業態のパソコンアウトレット店「PC-BUYKING」のオープン準備での1コマ(一番右が野島社長、1994年)

 企業規模が大きくなってきた93年ごろからは組織を分離して子会社を設立していきました。経営者や金融機関の方と話をする中で聞いた「経営者の仕事は、社内全体を見渡して人をうまく使いこなすことだ」という言葉を真に受けた僕は、「部下にこれまでの経験を伝え、子会社の経営を任せよう」と思い立ったのです。

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