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世界最大の製造受託企業、鴻海精密工業の傘下に入ったシャープ。官民ファンド主導の電機業界再編か、鴻海傘下入りか。もはや自ら選ぶ余地はなかった。独立企業としての最後の社長も経営課題に手を打てなかったことが決定打となった。

 日本海に程近い平野にそびえ立つ、長さ300m、高さ55mの巨大な建造物。それが今、1年半ぶりに鼓動を取り戻そうとしている。

 ここは日本三名山の一つ「白山」で知られる石川県白山市。液晶パネル大手、ジャパンディスプレイ(JDI)の主力生産拠点だった白山工場だ。2019年7月から稼働を停止していたこの工場に、久しぶりに活気が戻ってきた。

 通うのはシャープの社員だ。スマホ向け液晶のライバルだったシャープが、20年10月にこの工場を買収したのだ。外壁に取り付けられていた「JDI」のロゴもついに外された。建物の内部をうかがうことはできないが、シャープ社員が稼働再開に向けた準備を急ピッチで進めているという。

 「こんな巡り合わせがあるとは……」。液晶事業に携わるシャープ社員は驚きを隠さない。それもそのはず。かつて経営危機に陥ったシャープのスポンサーに名乗りを上げたのが、今の親会社である台湾・鴻海(ホンハイ)精密工業と、JDIの主要株主であるINCJ(旧産業革新機構)だったからだ。両者は再び出合い、構想止まりだった「液晶事業の統合」が部分的に実現することになった。

 ただ、液晶事業で攻勢をかけるシャープも順風満帆ではない。16年に鴻海傘下入りしたシャープの業績は調達などのコスト削減でV字回復したが、その後の成長戦略は鳴かず飛ばず。売上高はピーク時(08年3月期)の3分の2程度にとどまる。早川徳次が1912年に創業した100年企業のシャープにとって、鴻海傘下入りは正解だったのか。そして、なぜそうなってしまったのか。

「こうやって潰れていくのか」

 時計の針を2015年秋に戻そう。

(写真=3点:共同通信)

 「複数の相手と協議している」。当時のシャープ社長、髙橋興三は10月末に開いた決算会見で絞り出すように話した。不振が続く液晶事業の売却や提携について問われた髙橋は、もはや自力での再建の道が残されていないことを示唆するしかなかった。

 この年の4~9月期連結決算は836億円の最終赤字。銀行から受けた5100億円の融資の返済期限も翌年の3月末に迫る。既に単体で債務超過に陥っていたが、融資を返済できなければ連結でも債務超過になる。メインバンクのみずほ銀行と三菱東京UFJ銀行(現三菱UFJ銀行)からのプレッシャーは強くなるばかりだった。

 9月には12年に次ぐ希望退職で約3000人が会社を去った。「会社とはこうやって潰れていくのか」。あるシャープ社員は、エース級の社員が次々と会社から離れる状況を見て、こんな思いを抱いたという。1924年から本社を構えてきた大阪市阿倍野区の本社ビルの売却も決まった。人も、会社の象徴もなくなっていく。社内には逆境をはね返す手段も活力も残っていなかった。

 そんなシャープの窮状に勝機を見いだしたのが鴻海の創業者、郭台銘(テリー・ゴウ)。米アップルの「iPhone」などの生産受託で鴻海を世界最大のEMS(電子機器の受託製造サービス)企業に育て上げた人物だ。アップルなどに対する交渉力を高めるためにも、競争力の高い液晶パネルを持つことが積年の悲願だった。最終的に決裂したが、2012年にシャープ本体への出資で一度は合意した経緯もある。チャンスが到来したとみた郭はシャープへの出資の可能性を社内外にちらつかせ始めた。

日経ビジネス2021年1月11日号 56~59ページより目次