世界一の鉄鋼メーカーを目指して2012年10月に発足した「新日鉄住金」。だが合併後の姿は思い描いたものとは程遠く、今や合併前と同等の力があるかも心もとない。戦後の日本を代表する大企業は、これからどこへ向かうのだろうか。

 「住金をなんとかしてくれないか」。1990年代半ば。住友銀行幹部だった西川善文は、後に住友商事で社長・会長を務める宮原賢次から住友金属工業を助けてくれないかと頼まれた。下工程(製鋼)の設備はできたが、鋼材の材料となる粗鋼を作る上工程に投資する余裕がないというのだ。

 西川は気乗りしなかったが住友グループの仲間として見捨てるわけにはいかず、新日本製鉄の幹部だった三村明夫に相談した。三村は鋼材の母材の融通を快諾、新日鉄と住金が近づくきっかけの一つになった。

 そして2011年2月。新日鉄会長になっていた三村は、新日鉄と住金が合併するという発表の少し前、三井住友銀行頭取や日本郵政の初代社長の役目を終えて引退していた西川の携帯を鳴らし報告した。「住金と合併します」。西川は「まさかあのとき引き合わせた両社が合併するなんて、当時は想像もしなかった」と後に回顧している。

 住金は「組織の三菱」「人の三井」に対して「結束の住友」といわれた財閥、住友グループの御三家(このほかの2社は三井住友銀行と住友化学)の一角だった。住友家第17代当主の芳夫は、住金の技監でもあった。そんな住金と新日鉄の合併。住金社長の友野宏は11年9月に合併新会社の社名を「新日鉄住金」にすると発表した記者会見で「白水会には継続して出席していきたい」と語った。白水会とは住友グループを構成する主要企業の社長会だ。

 友野は白水会への出席を続けたが14年に新日鉄出身の進藤孝生に社長が代わったのを機に白水会との縁は切れた。住友の後ろ盾を失った瞬間だった。

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