官公庁を含め何の根回しもなく突然発表された新日本製鉄と住友金属工業の合併構想。日本の産業再編を遅らせる障壁とされた公正取引委員会を突破するための奇襲だった。その判断は、公取委の改革を進める当時の民主党政権の後押しも受けて吉と出た。

当時の菅政権は公正取引委員会への批判を強めていた。写真は左から当時の公正取引委員会委員長だった竹島一彦、首相の菅直人、官房長官の枝野幸男(写真=3点:共同通信)

 「世界で戦うためにはどうしても必要な合併です。よろしくお願いします」。2011年2月3日の夕刻、新日鉄社長の宗岡正二と住金社長の友野宏が合併計画を発表する共同記者会見を開いているのと同じころ。新日鉄会長の三村明夫と住金会長の下妻博は官房長官の枝野幸男を訪ねていた。合併計画の後押しを得るためだった。

 両社が政府を味方に付けたかった理由は「最大のハードル」(新日鉄首脳)と目された公取委を何とかしたかったからだ。当時、鉄鋼業界は公取委にたびたび辛酸をなめさせられていた。

 「言葉が出ない。頭の中が真っ白だ」。新日鉄と住金の合併発表から1年と少し前の09年10月16日。共英製鋼会長の高島成光は言葉を詰まらせた。直前に東京鉄鋼との経営統合を白紙撤回していた。公取委のゴーサインが出なかったからだ。

 共英製鋼と東京鉄鋼が、電炉では最大手の東京製鉄に並ぶ企業になろうという経営統合で基本合意したのは09年3月。最初の計画では同年10月に共同持ち株会社を設立するはずで、6月の両社の定時株主総会の議案にも上程されていた。しかし公取委の審査が長引いているとして、株主総会の直前に議案を撤回し、持ち株会社の設立を10年4月に延期。それもかなわず、最終的に統合断念に追い込まれた。

 「こんなのあり得ないだろう」。このニュースを聞いた当時の新日鉄首脳は天を仰いだ。電炉業界は多くの企業が乱立し、過当競争が常態化していた。業界の誰もが再編の必要性を声高に訴える状況だった。公取委はそんな中堅電炉の合併すら認めるつもりはないのか──。

 新日鉄が公取委の動向を注視していたのは、自らも公取委と対峙している別件があったためだ。新日鉄は07年から水面下で、日新製鋼の株の買い増しが可能かどうかを公取委に相談していた。「買収でも何でもない、たかが少しの買い増し」(新日鉄幹部)だった。だが2年以上のやり取りの末、結局は公取委から望む返事を得られず、断念している。

 公取委をどうやって突破するか。新日鉄と住金の首脳らが合併で腹をくくった時、最初に頭に浮かんだのは当然のように公取委の壁だった。宗岡が法務の責任者だった執行役員の佐久間総一郎に合併話を打ち明けると、佐久間は「さっさと基本方針を対外的に発表してしまいましょう」と進言した。

 「事前に相談すると、ろくなことはない」。これが日新製鋼の件を含め、公取委と直接対峙してきた佐久間の結論だった。実は日新製鋼株の買い増しも、共英製鋼と東京鉄鋼の統合も、「事前相談制度」を活用していた。言い換えると、法的な正式申請にまだ至っていない段階で、両案件とも撤回に追い込まれたのだ。

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