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「すべて液晶テレビに置き換える」。荒唐無稽に見えた発言は次第に現実となっていった。歴代社長が抱いたテレビのトップメーカーになる夢がついに結実したかに見えた。だが、その夢が経営の選択肢を狭め、巨大なリスクを抱える賭けに追い込まれていく。

 「国内で販売するブラウン管テレビを2005年までにすべて液晶テレビに置き換える」

 1998年8月、シャープの4代目社長に就任したばかりの町田勝彦は、就任後初めての会見で意気軒高に宣言した。その年の春に15型の液晶テレビを発売するなど他社に比べて先行していたとはいえ、ブラウン管のテレビよりもコストが大幅に高く、液晶タイプは生産台数の1割にも満たなかった。町田の宣言は「社内の技術者も困惑するほどだった」(当時のシャープ社員)。

 営業出身で海外事業を統括した経験もある町田には苦い記憶があった。「おたくのテレビ、ブラウン管は他社製でしょ」

 シャープはテレビの本放送が始まった53年に国内で初めてテレビの量産を始めた企業だ(当時は早川電機工業)。だが、資金力に乏しく、画質の決め手となるブラウン管は自前で開発できなかった。最初の数年間こそ国内のテレビ生産シェアでトップだったが、ブラウン管を自社開発した松下電器産業(現・パナソニック)やソニーなどに抜かれていく。携帯情報端末「ザウルス」やビデオカメラ「液晶ビューカム」などとがった製品はあっても、「家電の王様」であるテレビ市場での存在感はさっぱり。町田は取引先に買いたたかれた悔しさを持ち続けていた。