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自力再建の最後のチャンスを見逃し、2016年に鴻海傘下入りが決まったシャープ。テレビの販売が落ち込んで業績が悪化した12年から経営の混乱は始まっていた。「プリンス」と呼ばれた若き社長の早期退任。その後を継げる人材も見当たらなかった。

 2012年3月下旬。1台のバンがシャープ本社にすべり込んできた。中に身を潜めていたのは、台湾・鴻海(ホンハイ)精密工業の創業者、郭台銘(テリー・ゴウ)。極秘来日中の郭は車を降り、周囲をうかがいながらシャープ会長の町田勝彦との会談の場に向かった。

 「液晶事業の改革に取り組んできたが間に合わなかった」。その年の2月1日、シャープは連結最終損益が2900億円の赤字になる見通しを公表した。60億円の黒字見通しから一転、過去最大の赤字への下方修正だ。都内で会見した社長の片山幹雄は、前年7月のアナログ放送終了後の国内テレビ販売の急激な落ち込みに対応できなかったことを悔やんだ。

 その経営責任を明確にしなければならない。町田は自らが会長を退くことを決め、片山にも社長からの退任を迫った。そしてシャープは3月14日、町田が相談役、片山が会長、海外事業を担当していた常務執行役員の奥田隆司が社長に就任する人事を発表する。就任会見で「驚きのあまり言葉を失い、自分が適任か悩んだが、覚悟を決めた」と述べた奥田の起用は社員にとっても想定外。「『奥田さんって誰?』という声があちこちで上がった」とシャープ社員は証言する。

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