高度成長期からバブル経済期を経て、ようやく日本に根付いた「広義のCSR(企業の社会的責任)」。だが、日本には古くから近江商人に伝わる「三方よし」の考え方があり、社会性を追求してきたとの見方もある。三方よしと現代の社会的任責任とは異なるものなのか。日本企業の社会性の源流を解き明かす。

<span class="fontBold fontSizeM">岡本大輔 教授[Okamoto Daisuke]</span><br> 1958年生まれ。慶應義塾大学商学部卒、同大学商学研究科博士課程単位取得退学。96年から同大学教授。2019年から同大学商学部長を務める。中外製薬CSRアドバイザリー・コミッティーメンバー、企業と社会フォーラム学会理事・運営委員会委員などを歴任。博士(商学)。(写真=的野 弘路)
岡本大輔 教授[Okamoto Daisuke]
1958年生まれ。慶應義塾大学商学部卒、同大学商学研究科博士課程単位取得退学。96年から同大学教授。2019年から同大学商学部長を務める。中外製薬CSRアドバイザリー・コミッティーメンバー、企業と社会フォーラム学会理事・運営委員会委員などを歴任。博士(商学)。(写真=的野 弘路)

 三方よしという言葉を日経ビジネスの読者の皆さんはご存じだろう。近年、日本におけるCSR(企業の社会的責任)の原点の一つとして頻繁に耳にするようになった。近江商人に古くから伝わる商売の考え方とされており、自分にとって良いことを行い、それが相手にとっても良いこととなり、さらに世間の皆にとって良いこととなるべく行動すること、すなわち「売り手よし、買い手よし、世間よし」を説く。

 これまでこの連載では、日本のCSRが、企業のマイナスの行動をカバーする狭義の社会的責任の遂行やバブル時代の陰徳の美に代表される社会貢献から、マイケル・ポーター教授のCSV(共通価値の創造)や自社の利益にもつながる戦略的CSRなどに進化してきたことに触れてきた。だが、三方よしの考え方を見ると、日本には古くからCSVや戦略的CSRの考え方があったのではないかと思える。

 確かに三方よしとCSVやCSRとの間には共通点が多い。一方で、様々な議論もある。今回は三方よしとは何かを確認した上で、CSVやCSRとの比較をしていきたい。

生き抜くための「世間よし」

 そもそも近江商人とはどういった人たちなのか。近江商人とは、江戸時代から明治時代までの300年以上にわたり、日本国内で商圏を拡張した「八幡商人」「日野商人」「湖東商人」「高島商人」の総称である。

 彦根藩を拠点とした湖東商人の伊藤忠兵衛は伊藤忠商事、丸紅の創業者であり、高島商人が立ち上げた高島屋飯田呉服店は百貨店の高島屋となった。その他にも、近江商人は現代の日本企業に多大なる影響を与えており、西川や小泉産業、コスギ、ワコールホールディングス、東洋紡、日本生命保険なども近江商人が生み出した会社である。

 近江商人は、近江の地元で商売をする商人とは区別され、近江国から日本各地に出かけていって店を構えるなど、他国で商業活動を展開した商人を指した。地縁も血縁もない土地で商売を続けていくことが彼らの使命であり、そのためには地域の信頼を得ることが欠かせなかった。

 現代社会と違って公共交通機関やビジネスホテルなどもない時代である。多くの人々の世話にならなければ旅は続かず、商売もままならず、生活ができない。すなわち、彼らにとって「世間よし」は不可欠であり、そうでなければ生きていけなかったと言える。

 また、近江の地には、比叡山の半分が位置していることもあり、天台宗や浄土宗、浄土真宗の寺院が数多くある、信仰の厚い土地柄と言える。近江商人はみな熱心な仏教徒で、自己の利益よりも他人とともに利益を生み出すことを優先していたといわれる。この点にも三方よしの考え方がうかがわれる。

 例えば、伊藤忠商事や丸紅を創業した伊藤忠兵衛の座右の銘は「商売は菩薩(ぼさつ)の業、商売道の尊さは、売り買いいずれをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの、利真於勤」だった。全店員に親鸞聖人の教えを持たせて、店員一同と朝夕仏壇に向かって念仏を唱えていたという。

 「利真於勤」は「りはつとむるにおいてしんなり」と読み、利益は商人本来の勤めを果たした結果としてのみ得られるものであり、自分だけの利益を考えてはいけないという意味である。こうした考えもあって、近江商人の多くは現代でいうところの社会貢献活動に熱心で、村落集団の中核とされた神社仏閣の造営や治山治水、学校教育、常夜灯の建設、貧しい人々の救済などのために巨額の寄付をした。

 利潤は社会から得られたものであり、社会への貢献があってこそ自分たちの商いも価値あるものになるという考え方である。

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