前回は、秦からモンゴル軍、日露戦争、米ソ冷戦までの歴史を振り返り、戦争がITを牽引した例を考察した。今回は、ITを民間需要の側面から、無線や電話からスマートフォン、自動運転車まで幅広いテーマについて語る。

ORIENT(オリエント)
原義は「ローマから東の方向」。時代によりそれはメソポタミアやエジプト、トルコなど近東、東欧、東南アジアのことをさした。転じて「方向付ける」「重視する」「新しい状況に合わせる」の意味に。

(写真=吉成 大輔)
(写真=吉成 大輔)
三谷宏治氏 Koji Mitani
1964年、大阪府生まれ福井育ち。KIT虎ノ門大学院教授。東京大学理学部物理学科卒業後、BCG、アクセンチュアで経営コンサルタントとして活躍。92年INSEADでMBA修了。2006年から教育現場で活動する。『親と子の「伝える技術」』『戦略読書〔増補版〕』ほか著書多数。
(写真=吉成 大輔)
(写真=吉成 大輔)
守屋 淳氏 Atsushi Moriya
1965年、東京都生まれ。作家、中国古典研究家。早稲田大学第一文学部卒業。『孫子』『論語』『三国志』や渋沢栄一などの知恵を現代にどう活かすかをテーマとする執筆や企業での研修、講演を行う。主な著書に『最高の戦略教科書 孫子』『現代語訳 論語と算盤』など。

電信は鉄道ビジネスが牽引した

三谷(以下、三):ITは過去、戦争という「用途」によって大きく進歩してきました。でも、19世紀以降、意外な商売や交通、メディアの民需がその発展を引っ張ってきています。中でも鉄道の貢献が大きいのです。

 5針式電信機*1の発明者ウィリアム・クックたちは、それを即座に英国の鉄道会社に売り込みました。グレート・ウェスタン鉄道がこれに飛びつき、主要都市間21kmでの電信線建設を彼らに依頼します。発明の2年後、1839年にはもう運用がはじまるというスピード展開でした。鉄道は固定投資がとても大きいビジネスで、売上減が直接、利益減に直結します。その意味でも事故をすごく嫌いますから、安全への新規技術導入では常に先陣を切っていました。

 米国で誕生した、サミュエル・モールスらによるモールス式電信機*2 は当初、国会議員たちがその価値を理解せず、数年後にやっと鉄道沿線に64kmの電信線敷設が許可されました。しかしたまたま大統領候補選の選挙結果を伝えるチャンスに恵まれ、その圧倒的速さを見せつけました。1844年のことです。

 それから4年で電信線の総距離は3200kmに、10年後の1854年には6万6000kmを超えました。この1854年、聞き覚えはありませんか?

 FOCUS 
マルコーニ、常識への挑戦

 天才マックスウェルが予言し、ヘルツがその存在を実験で証明した電波。ヘルツへの追悼論文が、伊ボローニャの若者グリエルモ・マルコーニの興味を惹いた。

 マルコーニは直感した。「これは通信に使える!」。彼は実験を繰り返し、その送信距離を2.4kmにまで伸ばした。早速イタリア政府に売り込んだが、見向きもされなかった。仕方なくツテを頼って英国に渡り、今度は英国政府に売り込んだ。郵政省が援助を決め、無事、特許もとれた。彼はまだ22歳。追悼論文と出会って2年後だった。

 当時、電波は光同様直進するものと信じられていた。だから遠くには届かない、と。マルコーニはそんな常識には耳を貸さずに実験を続け、結果として電波は大西洋を越えて3400km先に届き、海上輸送を安全にし、移動体からの生中継も実現した。

 大学には行かなかった*3 。その道の専門家たちにも徹底的に否定された。新しい技術にイタリア政府も冷たかった。それでも事実に優るものはない。そして優れた技術は、必ず大きな用途に結びつくのだ。

 35歳でノーベル物理学賞を受賞したマルコーニはその後も、無線通信・放送の実用化に大きな役割を果たし続けた。

 1937年、63歳で亡くなった彼をイタリア政府は国葬で送り、英連邦は世界中の官設無線局を2分間沈黙させ弔意を示した。

(写真=Print Collector/Getty Images)
(写真=Print Collector/Getty Images)
*1=5つの針で20文字を指し示せる。1837年に電信機として初めての特許を英国で取得した
*2=ツー・トントン・空白の3種類の信号で情報を送るモールス符丁とその電信機は、美術教授であるモールスではなく、アルフレッド・ヴェイルという投資家兼技術者によって完成された
*3=裕福な家庭に生まれたマルコーニは、優れた家庭教師らから直接教育を受けた