古代中国の狼煙と直道

守屋(以下、守):中国でいうと、最初の大々的な情報伝達技術は「狼煙(のろし)」です。連載第1回で、周王朝の遷都*1を取り上げましたが、西周がダメになった理由が狼煙の濫用でした。伝説によると、王(幽王)が褒姒(ほうじ)という笑わない妃(きさき)をなんとか笑わせようとして、間違えて兵乱の合図の狼煙を上げたら、すわっ一大事と軍勢が集まった。でも何事もないので右往左往。それを見て妃が笑ったと。以来幽王が、妃を笑わせるために何もないのに狼煙を上げ続けていたら、ついには、みなの信用をなくして内乱が起こったというのです。だから、狼煙がこの時代、大々的に使われていたこと、それが重要な連絡手段であったことは間違いありません。

 それから歴史書の『史記』(紀元前91年ごろ)に、「魏*2の国には狼煙のネットワークがあって、情報がすぐ伝わってきた」という話があります。戦争では、正しい情報が迅速に伝わるかどうかが生死を分けますから、当時の国々にとって狼煙ネットワークは必須だったのでしょう。

 あと秦がすごいのが、「直道(ちょくどう)」という軍用道路を整備したことです。最大の外敵であった遊牧民(匈奴)と接する辺境と西安とを、一本道で結んでしまったのです。

:それ、『キングダム』にも出てきたやつですね! 半日で100km走れたとか。

:数本整備された当時の高速道路、馳道(ちどう)の中でも特別なのが直道でした。山を削って谷を埋めてほとんど同じ高さにした幅30~50mの一本道を、750kmにわたってつくり上げ、辺境から迅速に情報が伝わるようにしました。これは『史記』に書いてあったのですが、最近まで確認されていませんでした。でも衛星写真から妙に真っすぐになっている、凸凹がない場所が発見され、現地調査をしたら直道の跡だったのです。

 秦は戦争目的での情報網をいろいろ構築しましたが、これらが完全に整ったのが漢王朝です。漢王朝のときはかなり細かく、狼煙、旗、夜はかがり火を焚くなど、いろいろな手段で細かい情報まで素早く伝えていたようです。

:それでも辺境で狼煙を上げる役の人たちは命懸けですね。翌日援軍が来るわけでもないでしょうから。

:そうでもないんです。辺境には点々と見張り台があって、遊牧民が攻めてくると狼煙を上げてその情報だけを伝え、あとは高い壁に囲まれた見張り台にこもります。点在する軍事拠点に情報が届くと、すぐ軍隊を出動して、遊牧民を追い払う作戦でした。

 漢王朝でもう一つ特徴的なのが、当時の漢民族がとにかく律儀で細かかったこと。近年、砂漠地帯で種々の資料が発掘されてわかったことですが、ゴビ砂漠手前のような辺境の拠点まで、すごく細かい行政文書を本部とやりとりしていました。以後の中国人にはない律儀さ、細やかさといわれています。

:ふむふむ。情報技術の用途が、「戦争」から「行政」に変化したわけですね。内憂外患で言えば、外患対応が一段落したから、内憂対策に勤しんだと。

:その後、漢王朝が滅び、三国志を経て、南北朝時代になって、もともといた漢民族と遊牧民たちとのハイブリッドが起こり、遊牧民出自の王家を持つ隋王朝や唐王朝ができました。その結果、昔ほどの律儀さや細やかさはないけれども、もう少しやることのスケールが大きい民族性に変わったと。ハイブリッド化のおかげで、沈滞していた中国にカツが入ったといった学者さんもいました(笑)。

*1=紀元前770年、西周から東周に替わる際、秦が警備に就きその功績で諸侯に任じられた
*2=紀元前11世紀に周から分かれた。春秋12列侯の一つ

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