この記事は日経ビジネス電子版に『小国がゆえに海外に挑み、大国となって閉じこもる』(11月20日)『「真のグローバルIT企業」はグーグルだけ?』(11月27日)として配信した記事を再編集して雑誌『日経ビジネス』12月7日号に掲載するものです
戦略コンサルタントとして知られる三谷宏治氏と、中国古典研究家の守屋淳氏が、歴史上の人物の知恵や内外の企業の経営から、日本、そして日本企業の課題を探る対談。今回は国家のグローバル化について語り合う。
ORIENT(オリエント)
原義は「ローマから東の方向」。時代によりそれはメソポタミアやエジプト、トルコなど近東、東欧、東南アジアのことをさした。転じて「方向付ける」「重視する」「新しい状況に合わせる」の意味に。


守屋(以下、守):今回のテーマはグローバル化ですが、そもそもグローバル化の必要があるかどうかをお聞きしたいのです。東大の船曳建夫名誉教授の議論をお借りすると*1、明治時代も3つの路線がありました。
まずは福沢諭吉の「大日本」路線。本でいえば『文明論之概略』がそうで、日本は文明化を進めて、文明化で先んじている欧米の国に追い付け追い越せで、伍(ご)して戦っていかなければいけないと言っています。
一方、渋沢栄一と新渡戸稲造は「国際日本」路線です。道徳を持って信用され、商業で栄える国をつくりましょうと。本としては『論語と算盤』や『武士道』、いわゆる倫理や道徳にまつわる話が出てくるのがこの特徴です。
最後は夏目漱石の「小日本」路線です。身の丈に合った自分なりの基準で行きましょうと。変に文明化などに走るからみんな不幸せになると。本では『私の個人主義』です。「拡大が幸せと言っているけれども本当でしょうか。自分なりの基準を持って生きましょう」というのが夏目漱石の路線です。実は私は夏目漱石の路線が好きです。
三谷(以下、三):別に「名前のない猫」でいいと。
守:そうです、あくせく働くより、日なたで昼寝を愛したいなあと(笑)
夏目漱石の呟き

本当に最近は「国家」がどうだ「日本人」がどうだと、うるさくて敵わない。
江戸・牛込馬場下横町の名主の家に生まれたが、望まれずに生まれた末っ子五男の人生なんて、暗くて冷たいものだった。
頭が良かったお陰で、帝大を出て職も得たが、イヤになって松山に逃げて(旧制)中学校の教師になった。33歳で官費留学生となったが、ロンドンの大学にもさして学ぶものはなく、下宿屋で神経衰弱になっただけだった。
いや、学びはあった。それは「西洋人の言うことに追従・受け売りしても意味はない」「自分自身の意見を持たねばならない」ということ。イギリスという国では子どもの頃から自分の自由を愛するとともに、他人の自由も尊ぶように教育を受けている。ゆえに個人が政府を非難したからといって、警察がその家を取り巻いたりはしない。これこそが「個人主義」というものだ。
しかし今、日本は「国家」に取り憑かれている。日本人たるもの国家を第一に考えよとやかましい。確かに今の日本は小国で貧しい。だからといってすぐ大国にと焦ることもない。いざとなればみな国のことくらい考える。その程度でいいのだ。
1914年『こゝろ』の連載を終えた夏目漱石に残された時間は2年余り。47歳になった彼は、その厳しい闘病生活の合間、愛猫「ねこ」としばしの休息を楽しんでいた。
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