前回は、意思決定力を鍛えるヒントを求めて薩摩の教育を振り返った。今回、三谷宏治氏と守屋淳氏は、人材育成をテーマに、職人の育成現場、孔子の教え、さらに探究型学習について深掘りしていく。

ORIENT(オリエント)
原義は「ローマから東の方向」。時代によりそれはメソポタミアやエジプト、トルコなど近東、東欧、東南アジアのことをさした。転じて「方向付ける」「重視する」「新しい状況に合わせる」の意味に

(写真=吉成 大輔)
(写真=吉成 大輔)
Koji Mitani
1964年、大阪府生まれ福井育ち。KIT虎ノ門大学院教授。東京大学理学部物理学科卒業後、BCG、アクセンチュアで経営コンサルタントとして活躍。92年INSEADでMBA修了。2006年から教育現場で活動する。『経営戦略全史』『戦略読書〔増補版〕』ほか著書多数。
(写真=吉成 大輔)
(写真=吉成 大輔)
Atsushi Moriya
1965年、東京都生まれ。作家、中国古典研究家。早稲田大学第一文学部卒業。『孫子』『論語』『三国志』や渋沢栄一などの知恵を現代にどう活かすかをテーマとする執筆や企業での研修、講演を行う。主な著書に『最高の戦略教科書 孫子』『現代語訳 論語と算盤』など。

三谷(以下、三):2018年の厚労省資料「労働経済の分析」によれば、日本企業が成員の能力開発にかける金額(OJT*1除く企業内外の研修費用など)は約5000億円、GDP比で0.1%です。これは米国の2.1%、フランスの1.8%、英独伊の1%強に比べて、桁違いに低い水準です。じゃあ、OJTは? その「実施率」は男性51%、女性が46%といずれもOECD平均を下回るのです。

守屋(以下、守):GDP比で20倍も違うのですか! まさか成員のスキルが十分だということなのでしょうか?

:いえ、「労働者の能力不足」を経営課題とする企業の比率を見ると、日本が81%と圧倒的に高く、米独40%の倍に達します。フランスは21%、英国は12%にすぎません。一方、こういった能力開発と労働生産性には強い相関があることがわかっています。能力不足や労働生産性の低さが経営課題だというなら、能力開発に手間やお金をかければいいのです。1社あたりの能力開発費は、人手不足への対応策として15年度以降、若干増えていますが1割アップ程度。公教育も含めて、実は日本は「教育」に国や企業として世界一お金をかけていない先進国なのです。

:衝撃です。その原因はメンバーシップ型雇用とジョブ型雇用の違いにあるのかもしれませんね。日本は社員が「何でもやります」という白紙契約で企業に入るので、どういう仕事をするのか、どこで働くのかをほぼ完全に会社が決めています。2年後には全然別のことをやらされているかもしれないし、仕事自体の分担も必ずしも明確ではない。そうなると、スキルや知識を積み上げるような専門研修はムダになりやすい。でも日本以外の多くの国が採用しているジョブ型の場合は、仕事の範囲や研修が契約で決められているので、専門的な教育もしやすいのでしょう。

 しかし、日本がOJTの実施率まで低いというのはとても気になります。日本の職場というのは、先輩が後輩を、上司が部下を育てるのが美風であり、それが専門的な研修の少なさを補っていたと思っていたのですが。

:不況期の人減らしの影響もあって、現場管理職や先輩たちにOJTをやっている余裕はもうありません。それが先ほどの数字にも出ています。またもしOJTに励んだとしても、そこで提供されるノウハウやスキルは、残念ながら時代遅れのものかもしれません。

 FOCUS 
諭吉、明治政府の「教育」に異議あり

(写真=提供:桜堂/アフロ)
(写真=提供:桜堂/アフロ)

 子どもの頃、勉強なんて大嫌いだった。でも『論語』や『孟子』にハマり、長崎や大坂・適塾*2で学んだ。そこで極めたオランダ語が横浜でまったく通じずショックを受け、自力で英語を勉強した。25歳で咸臨丸に乗り込み渡米。英語力を武器に渡欧も果たしたが、明治維新後は在野での教育の道を選んだ。慶應義塾をつくり、文部卿だった木戸孝允に助言もした。しかし結局、明治政府による学校制度は、画一化・中央集権化・官立化に向かってしまった。

 諭吉は思った*3。「わが国の教育の仕組みは間違っている」「もともと『孟子』にある教育は、生徒に副(そ)い立つものだった。それが今は上から下へ教え込むものになっている」「学校の目的は人にものを教えることではない。ただその能力の発育を促すことなのだ!」

 『西洋事情』や『学問のすゝめ』で「独立した個人」を訴え続けた福沢諭吉は、強烈な危機感を抱いていた。「このままでは国は強くなるだろうが人は国家に依存するばかりになる! educationを『発育』って訳しとけば……」

*1=On the Job Training 業務中に行われる能力開発のこと
*2=緒方洪庵が江戸時代後期に大坂・船場に開いた蘭学の私塾。636人が入門し諭吉の他、大村益次郎、高峰譲吉、橋本左内など多くを輩出した
*3=福沢諭吉『文明教育論』より意訳

次ページ ダイキン工業のAI人材教育