安価な中国製商品の台頭に押され、コスト削減や生産効率化のために国内拠点の閉鎖を断行。数多くの日系メーカーがたどった道だが、非情に徹しきれない宮本社長にとって苦い記憶となった。今日、苦境にあえぐ海外工場の存続に全力を注ぐのは、国内リストラで得た教訓があるからこそだ。

宮本彰 [みやもと・あきら]氏
宮本彰 [みやもと・あきら]氏
1954年東京都生まれ。77年慶応義塾大学法学部卒業後、祖父が創業したキングジムに入社。88年発売のラベルライター「テプラ」では開発チームのリーダーとして活躍。大ヒットを経て92年の社長就任後は「テプラ社長」と呼ばれた。2011年に閉鎖した松戸工場は、かつて宮本氏も勤務。フォークリフトの運転で建物をこするなど苦い思い出も。(写真=的野 弘路)

 実は私、意外に人情派なんです。大事な顧客だった得意先が倒産するとき、「1円でも多く回収するぞ!」と必死になれない。突然敵に回ったり、豹変(ひょうへん)したりは、できるだけ避けたいのが本音。私の欠点でしょうね。ただ、ビジネスは時に非情さも必要です。かつて私も容赦ない決断を下した。今でも苦い記憶として思い出す出来事があります。

 当社の主力製品であるファイルは創業以来、国内で製造していました。千葉県の松戸工場、岡山県の岡山工場、茨城県のつくば工場と3拠点があり、各地域の社員や協力会社と共に品質を磨いてきたのです。しかし、中国製の安い商品がだんだんと市場に出回り始めた。日本の人件費では太刀打ちできませんでした。対抗するには国内ではダメだ、ということで海外に出る決断をしました。

 インドネシアにクリアファイルを中心としたポリプロピレン商品の専用工場を設け、マレーシアにもメインの「キングファイル」のとじ具を造る拠点を整備しました。最終的にはベトナムにも進出し、ファイル製造は事実上、全て海外に移管しました。ファイル需要の減少も重なり、事業を継続するには大幅なコスト削減が不可欠だったのです。ただ、この拠点整理は本当につらかった。

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