さっそく他の若手と一緒に開発に着手したのですが、そこからは猛烈に大変でした。開発チームは毎週、開発状況について山田さんの前でプレゼンテーションをさせられるんです。今どこまで進んでいて、次の週には何をして、その先をどう動かしていくかという感じで。この経験で、プレゼンの肝を徹底的に考えるようになりました。相手が何を考え、技術動向など状況がどう動き、何を言えば一番響くのか。それをしっかり考えていなければ認めてもらえないのですから。

 山田さんの厳しい目が日々のプレッシャーになっていましたが、もう一つ大きなプレッシャーがありました。工場の人たちの目です。

 開発するといっても、パソコン上で考えるだけではダメです。実際に加工したらどうなるかを、機械を動かして検証しなければなりません。そこで、インクスの工場の機械の一部を借りて新しい金型をつくったりしていました。

 「お金を生んでない開発の連中に機械を貸しているのに、動いてない瞬間があるとは何事だ」。あるとき、工場の人たちにひどく怒られました。本来であれば価値を生むために使う装置を遊ばせておくわけにはいかないというのはもっともです。開発部の同僚と2人で、常に工場にいて、夜は機械の裏で寝たほどです。それで機械が止まるとすぐに起きて動かすということを繰り返しました。24時間これです。家にもほとんど帰らないような日が結構続きましたね。むちゃくちゃ働きました。

金型のことは何も知らなかった

 それでもやれたのは面白くて仕方なかったからです。高速で成形品をつくれる金型を設計して、さらにそれを製作できる機械を開発する。加えてそのための工場もつくらなければいけない。ものづくりの未来の形を生み出しているようなものですから、大変だけど面白いに決まっています。

 金型をどうやって高速で製造するか。考えついたのは、金型を「標準品」にすることでした。当時、インクスでやっていたのは携帯電話の試作品用の金型。製品を造形する部分だけ金型を入れ替えられるようにして、同様のサイズの端末ならその部分以外は共通部品で済むようにしました。それによって金型の設計・製造時間を大幅に短縮しようとしたわけです。

<span class="fontBold">大坪正人 [おおつぼ・まさと]</span><br />1975年神奈川県生まれ。2000年東京大学大学院修了、インクス(現・SOLIZE)入社。06年に家業の由紀精密工業(現・由紀精密)に転じ、ネジ製造の下請けから精密部品製造などに進出して再建した。17年に由紀ホールディングスを設立し、技術などに独自の強みを持つ中小企業をグループに加えて成長する独自経営を展開している。(写真=加藤 康)
大坪正人 [おおつぼ・まさと]
1975年神奈川県生まれ。2000年東京大学大学院修了、インクス(現・SOLIZE)入社。06年に家業の由紀精密工業(現・由紀精密)に転じ、ネジ製造の下請けから精密部品製造などに進出して再建した。17年に由紀ホールディングスを設立し、技術などに独自の強みを持つ中小企業をグループに加えて成長する独自経営を展開している。(写真=加藤 康)

 ここまでお話しした後で言うのもなんですが、実は私自身は入社するまで金型のことを何も知りませんでした。大学では金型について学ぶ機会がまったくなかったものですから。インクスに入って、金型を自分で設計しながら製造もしてきたんですが、独学のせいか、やっぱりつくれないところがある。

 どうすればいいのかと悩んだ揚げ句、インクスの近くにあった金型の町工場のおやじさんに教えてもらいに行くことにしました。とはいえ、ただ(無料)では頼めません。山田さんの許可をもらって、その町工場に金型を発注することにしました。

 おやじさんは、癖が強い、怖い人でした。でも腕はいい。注文した金型をつくる工程を見せてもらって、どこが難しいのかを徹底的に考えました。何度も見せてもらって話をしているうちに、東京都大田区の地元の飲み屋に連れて行ってもらうようになりました。そのうち、ジャズギターが趣味と聞かされ、私も同じだったのですっかり意気投合しました。入社して1~2年目のことです。

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