創業家に生まれ、「会社を継ぐ」との自覚から、常に1番を目指して人一倍の努力を重ねてきた。紙需要の先行きに危機感を抱き、電子文具へ参入。ラベルライター「テプラ」を大ヒットに導く。この成功で「テプラ社長」と名を上げたものの、共同開発メーカーとの訴訟では地獄を味わった。

俺は失敗しない──。30代の頃はそんなおごりがあったのかもしれません。向こう見ずでしたね。先陣を切って飛び出すファーストペンギンでした。ただ、キングジムを代表する製品に育ったラベルライター「テプラ」を巡り、人生最大の挫折を味わうまでは、単に無謀なファーストペンギンだったかもしれません。
キングジムは祖父が創業者です。子どもの頃から「将来は会社を継ぐんだ」と洗脳されていました。小学生の私に年末の在庫処分セールを手伝わせたりしてね。小さい子が「いらっちゃいませ」とやっているとかわいいでしょう。お客さんが寄ってきてノートや手帳を買ってくれました。売れた何%かをお小遣いでもらえたので、子どもながらに商売の楽しさを体感していましたね。
大学卒業後は他の会社へ「修業」には出ず、最初からキングジムに入りました。知識も経験もある大先輩方との差を一日も早く埋めたかったんです。寝る間も惜しんで若手社員が受ける「商品知識テスト」の勉強をしました。拠点の住所や梱包・包装のサイズ、ファイル関連の専門用語など本当に細かい知識まで頭に入れた。「将来、会社を背負う立場になるなら、私が1番でなければならない」と思っていました。
30代で専務に就任したのですが、50代、60代の大番頭さんたちからしたらまだまだひよっこですよね。理論武装するために数字の裏付けが欠かせなかった。商品の販売実績やこまごまとしたデータにくまなく目を通してまとめる地道な作業にも手を抜きませんでした。
会社を継ぐプレッシャーは相当なものでした。ただ、仕事上の挫折はそれほどなかった。今思えば、生意気で自信過剰だったと思います。
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