破綻寸前だった家業を再建するため、花形ベンチャーでの充実した日々に別れを告げた。「研究開発型町工場」を打ち出し、ネジの下請けから航空宇宙でも使われる部品のメーカーに変貌。ありとあらゆる仕事を請けながらも、必死になって未来の種を植えて回ったことが結実した。

(写真=加藤 康)
(写真=加藤 康)

 今年は本当に厳しい年でした。新型コロナウイルスの感染拡大で世界経済が大きく落ち込んだ影響が我々にも及びました。2019年9月期の単体売上高は約5億2000万円でしたが、今期(20年12月期に決算期を変更)は大幅に下がりそうです。こんな折ですから珍しいことではないかもしれませんが。

 ベンチャー企業の技術者として働いていた私は06年秋、祖父の興したネジ製造の由紀精密工業(現・由紀精密、神奈川県茅ケ崎市)に戻って経営に携わるようになりました。当時はいつ倒産してもおかしくないような状態。そのどん底から、航空機や超小型ロケットなどの精密部品を開発・製造できる町工場に作り替えて復活しました。

 最初の危機を何とか乗り越えたと思った直後に起こったのが08年秋のリーマン・ショックでした。その打撃をはね返して成長軌道に入ってきたところで、今回またコロナの暴風にさらされたというわけです。でも、これも必ず乗り越えられます。当社はそれだけの力を身につけてきましたから。

 今、菅義偉首相は、新政権の主要政策の柱の一つとして中小企業の競争力強化を挙げています。コロナ禍で中小企業がどう生き残るのか。さらにはどうやって競争力を強化して、日本経済の再浮上につなげていくか。それを意識してのことでしょう。

 私がこのコラムに登場する機会を頂いたのも、その例の一つとして、ということかと思います。危機を乗り越え、強い企業になるにはどうしたらいいのか。私が危機に立ち向かった経験と、私の考えをお話ししましょう。

会社に戻るつもりはなかった

 「何とかしないと(存続は)難しいですよ」。由紀精密に常務として入社した頃、取引銀行の人に何度も言われました。売上高は1億円ちょっとなのに借り入れがその倍もあって、資金繰りはギリギリ。返済しないと銀行は相手にしてくれなくなるから、毎月利子と元金の一部は返済する。でも、すぐ足りなくなってまた借りる。まさに自転車操業です。本当に苦しい時期でした。

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