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「紀州のエジソン」とも呼ばれる発明家はアパレル産業に革新をもたらしてきた。1961年に島精機製作所の前身を創業し、念願だった世界初の全自動手袋編み機を完成させる。その裏には、借り入れの返済に追われ、死をも覚悟しながら開発に没頭する執念があった。

(写真=菅野 勝男)

 新型コロナウイルスの感染拡大で、アパレル産業が窮地に陥っています。長期にわたる外出自粛や店舗休業にとどめを刺されて倒産するところも出てきました。ただ、忘れてはいけないのは、人は裸ではいられないということです。衣類は必需品であり、アパレルは人類にとって欠かせない産業なんです。その一方で、歴史が長い分、古いやり方が残っているのも事実。生地を切断した後の廃棄部分をなくすことや、売れ残りを減らすことなど、まだまだ大きな改善の余地がある。私がずっと描き続けてきたアパレルの未来に、少しでも近づいてほしいと願っています。

 私が生まれ育ち、80年あまりの人生を送ってきた和歌山は、古くから繊維産業と縁の深い土地柄です。振り返ってみれば、アパレル産業を改善したいという思いに突き動かされて走り続けてきました。

 子どものころからいろいろなものを発明してきましたが、人生の原点となったのはやはり16歳の時に発明した「二重環かがりミシン」でしょうか。メリヤス(編み物)工場に勤め、家では軍手(作業用手袋)を編む内職をしていた母の苦労を少しでも減らしたいと思ったのがきっかけでした。

 当時の軍手は、甲の部分と手首の部分を別々に編んでから手作業でつなぎ合わせる工程が必要でした。私が発明したミシンなら、セットするだけで簡単につなぎ合わせることができます。仕上がりの強度も伸縮性も十分。結果、1日当たり1人3ダースだった生産量が、20ダースまで増えました。

悲しい事故を減らしたい

 同じころに発明したものに、「ゴム入り安全手袋」があります。当時、地元の染色工場では作業員が軍手ごと機械の歯車に巻き込まれる事故が多かった。指や手を失うのみならず、命を失うこともありました。そんな悲しい事故が起きないように、なんとかできないか。そう考え続けていたときにアイデアが生まれました。普段は手首にフィットしているけれども、機械に挟まれたときにはスッと脱げるようにゴムを編み込むことを思いついたのです。

 繊維産業の課題解決に挑み続けるうちに至った一つの到達点が、無縫製ニット「ホールガーメント」の横編み機です。衣料品をまるごと立体的に編み上げる技術で、生地を裁断する必要もなければ、縫製もいりません。

 コンピューター上でデザインし、そのデータを入力すると、普通のセーターなら約30分、デザインに凝ったワンピースでも1時間ぐらいで、3Dプリンターのように完成形が機械から出てきます。

 好みの色や形で、ぴったりのサイズ。そんな世界に1着だけの服を、それほど高くない価格でオーダーメードできる。そんな仕組みが整えば、顧客の精神的な満足度は高くなるし、同時に生産や在庫、流通のロスもなくなる。人類の欲求を満たしながら、地球環境の保全にもつながります。「ユニクロ」のファーストリテイリングさんと立ち上げた共同出資会社で、こうしたビジネスモデルを確立しようとしています。

 そんな目指す姿の実現が見えてきましたが、たくさんの困難に立ち向かった人生でした。これでダメだったら命を絶とうと覚悟したことすらありました。まずは私にとって人生最大のピンチだった1960年代、島精機製作所を創業した直後のことをお話ししましょうか。

日経ビジネス2020年11月23日号 76~79ページより目次