リーマン・ショックで親会社が経営破綻して別企業の傘下に。しかし、企業文化の違いに苦しんだ。自由闊達な社風を守るためMBOを選択。独立の条件として35億円もの債務を個人で保証した。社員を守るその動機、「善なりや」。尊敬する稲盛和夫氏の教えが、サラリーマンを企業家に変えた。

穂積輝明[ほづみ・てるあき]氏
穂積輝明[ほづみ・てるあき]氏
1972年生まれ。京都大学3回生の時に不動産デベロッパー「スペースデザイン」でアルバイトを開始。正社員を経て、不動産ファンド「クリード」に転職し、ホテル事業を立ち上げて社長に就任。2012年にMBOでオーナー経営者として独立。現在、宿泊特化型でありながらラグジュアリーな4つ星ホテル「カンデオホテルズ」を25施設、4903室運営している。(写真=的野 弘路)

 2008年9月のリーマン・ショックの影響で、カンデオホテルズの親会社である不動産投資ファンドのクリードが経営危機に陥り、私はホテル事業のスポンサー探しに奔走することになりました。カンデオホテルズを興した私は社長に就任していたのですが、1株の保有もしていなかった。つまりサラリーマン社長が自社の売り先を探すわけです。「いい出物がありますよ。実は、我が社なんですが」とね。

 精神的な苦しみが伴う仕事でした。スポンサーを探しつつも、見つかれば創業者の自分自身が会社から追い出されてしまう可能性が高い。正気を失いそうなつらさを味わいました。

 悩みましたが、最終的に「会社は社員のためにある」という原点に立ち返り、行動の優先順位を決めました。第1にホテル現場社員の雇用を守る。第2に当時約20人いた本部社員の雇用を守る。第3は、可能であればカンデオホテルズというブランド名を残したい。最後に、自分は社長として残れなくても構わないけれど、よければ残してもらえないか、と。

 創業したばかりだったホテル事業の業績は赤字。ただ、現場の頑張りもあって毎月増収し、赤字額は減っていました。最終的に競合のホテル会社2社ほどから良い返事が頂けた。

 実際には、09年1月にクリードが会社更生法を申請した後、金融機関の意向で価値開発(現ポラリス・ホールディングス)に株を持っていただくことになります。

 もともと不動産業を手掛けている会社で、当時はちょうどホテル事業への進出を始めたばかり。価値開発にはホテル運営のノウハウがそれほど蓄積されていなかったため、私の社長続投が決まりました。

 しかし、自由度は減った。カンデオホテルズは07~08年の2年で10施設を出店したのに、価値開発傘下だった09~12年の3年間は3施設の出店にとどまった。成長が停滞してしまったのです。理由は幾つかありますが、最も大きかったのが「企業文化の違い」でした。

この記事は会員登録で続きをご覧いただけます

残り1534文字 / 全文2485文字

日経ビジネス電子版有料会員なら

人気コラム、特集…すべての記事が読み放題

ウェビナー日経ビジネスLIVEにも参加し放題

バックナンバー11年分が読み放題

この記事はシリーズ「不屈の路程」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。