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インターネットとの出合いは、ロボコンへの憧れで進学した高専の在学中。趣味で提供していたサービスの可能性に気付き、創業を決意する。ITバブル期に急成長するも、若い経営陣の間に溝が生まれていった。

ものをつくることや電車に乗ることが大好きな少年時代だった

 私は算数と理科が得意で、ものづくりが大好きな少年でした。インターホンを自作したりもしました。小学生のとき、親に工作キットを買ってもらい、はんだ付けをしてつくったのです。台所から自分の部屋に、インターホンで「ごはんができたよ」と知らせてもらっていました。ものをつくって、それを使うのが楽しくて仕方がなかった。

 高専生によるロボットコンテスト「高専ロボコン」の第2回大会が開催された1989年、その様子をテレビにかじりつくように見ていた私は「いつか自分もつくってみたい」という思いを抱きました。それを見た親が連れて行ってくれた近所の奈良工業高等専門学校は、私の大好きなものがたくさんある夢のような場所でした。引っ越しで奈良からは離れたのですが、高専やロボコンへの憧れは持ち続けていました。

 「僕は舞鶴高専を受けるつもり」。横浜市に住んでいた中学3年生のころ、兵庫県に住んでいたときの親友が教えてくれました。自分が一番大好きな、ものをつくるということをやり続けるには高専が近道かもしれない。昔からの憧れも相まって、全寮制の舞鶴高専を受験しようと決めました。

 高専は、プログラミングや電子工作、ロボコンへの出場など、自分にとって楽しいことばかりでした。ネットワークの面白さを知ったのは3年生のころです。私物のコンピューターにウェブサーバーのソフトを入れて、ロボコンサークルのホームページをつくったりしていました。当時は学内に閉じたネットワークだったので仲間うちでの楽しみでしたが。

インターネットの可能性に感動

 96年11月、「高専ロボコン」の全国大会に出場するために上京し、空き時間に秋葉原に立ち寄ったときのことです。パソコンショップの店頭にあった「インターネット体験コーナー」でパソコンを操作し、インターネットにつながったばかりの舞鶴高専にある自分のサーバーにアクセスしてみました。

 「これはすごい!」。高専の学内から海外につなげたことはあったのですが、普段自分が使っているサーバーに外からつないだのは初めて。こんなに遠く離れたところにいるのに双方向でやり取りできる。そんなインターネットの可能性を体感し、えも言われぬ感動が押し寄せてきました。このときを上回る感動は、いまだに経験したことがありません。

 舞鶴に帰ってもこの興奮は冷めず、むしろ膨らんでいきます。「この感動をもっと多くの人に伝えたい」。そんな純粋な思いでした。

 そんなときにロボコンサークルの後輩から、「ホームページの置き場所に困っている人がいる」という話を聞きました。もともと寮の狭い部屋にサーバーを積み、学内の知人に無料で貸していたのですが、有料にして外部の人に貸し出せばいい。そう考えたのが創業のきっかけです。自分でサービスをつくって使ってもらうという、自分が一番好きなことができると思いました。そうして96年12月、さくらインターネットが産声を上げました。

日経ビジネス2020年11月2日号 62~63ページより目次