日本酒「十四代」をブランド銘柄に育てた高木社長だが、長年の負荷が体に蓄積し、ついに卒倒した。10年前の真夏の夜に心臓が異常に鼓動、妻の懸命な救助と病院での緊急治療で一命を取り留めた。家族の献身、蔵人たちの支え。命の危機を経験して初めて、縁が結んだ絆を育む大切さに気付いた。

高木顕統(たかぎ・あきつな)氏
高木顕統(たかぎ・あきつな)氏
1968年山形県生まれ。東京農業大学醸造学科(現醸造科学科)卒業、東京の高級スーパーでバイヤーに。家業の高木酒造で杜氏が引退し、江戸時代初期から続く蔵がピンチに。同時期に「運命的な一杯」の酒と出合い、帰郷して酒造りを担う。銘酒「十四代」で「芳醇(ほうじゅん)旨口」の時代を切り開き、2015年から社長。(写真=伊藤 菜々子)

 ドタンっという、鈍く重い音が家の中に響いたそうです。2012年8月、蒸し暑い夜中のことでした。自宅に帰ってきた私は、ソファに座るつもりが、近くの床に倒れ込みました。寝ていた妻の若菜が、「いったい何事か!」と跳び起きて駆け寄ると、私はあおむけのまま痙攣(けいれん)していたそうです。

 妻はすぐに電話を取り、119番を押しました。「それは危険な状態ですから、救急隊がお宅に到着するまで奥さんが救命措置をしてください」──。その電話をつないだまま指示を受け、妻は両手を私の胸に置き、力を込めて何度も何度も、心臓マッサージを続けてくれたのです。

 私の症状は心臓が異常に動き、やがて止まってしまう心室細動でした。妻の懸命な措置がなければ、脳に酸素が届かなくなっていたでしょう。やがて救急車が駆け付けると、7回ほどAED(自動体外式除細動器)を作動させたそうです。何とか一命を取り留めましたが意識はなく、医師から「自分の力で呼吸できていません」との説明があったそうです。

胸に染みた家族のありがたさ

 このとき私が運び込まれた山形県立中央病院には、ちょうど救命救急を専門とする医師がいました。そして低体温状態にして治療するための機械が1台だけ空いていました。頭部も含めて体をいったん34度まで冷やし、徐々に温めていく過程で身体機能の回復を図るという処置です。

 もしうまくいかなければ脳死したり何らかのまひが残ったりするリスクもあるそうですが、成功の可能性に賭けることになったのです。

 私が昏睡(こんすい)状態のとき、妻は病院の控室にいました。後になって当時のことを聞くと「もう祈るしかない状況で、気が気でなかった。自分の胸が張り裂けそうな中で、ふと酒蔵の経営のことも頭によぎった」と語ってくれました。しっかりと気配りのできる妻だからこそ、本当にあらゆることを案じさせてしまいました。2人の息子は小学生でしたが、彼らを不安にはさせないようにとも気遣ってくれました。

 家族の緊張の糸がほどけたのは、数時間後でした。当初はとてもぼんやりとした世界のように感じられたのですが、私は意識を取り戻しました。脳に刺激を与えるようにと、すぐ近くでラジオの音が流れていました。重い何かを動かすように、そっとまぶたを開いていくと、おぼろげな視界に大判のガラスが映りました。やっとのことで左右に視線を動かすと、やはりガラス張りの部屋で横たわっていると分かった。その向こうには複数のベッドと患者が見え、「あちらは大変な治療中の人たちが入院しているのだろうか」と心配になりました。

次ページ 「和醸良酒」の心を再認識