日本酒「十四代」をブランド銘柄に育てた高木社長だが、長年の負荷が体に蓄積し、ついに卒倒した。10年前の真夏の夜に心臓が異常に鼓動、妻の懸命な救助と病院での緊急治療で一命を取り留めた。家族の献身、蔵人たちの支え。命の危機を経験して初めて、縁が結んだ絆を育む大切さに気付いた。

ドタンっという、鈍く重い音が家の中に響いたそうです。2012年8月、蒸し暑い夜中のことでした。自宅に帰ってきた私は、ソファに座るつもりが、近くの床に倒れ込みました。寝ていた妻の若菜が、「いったい何事か!」と跳び起きて駆け寄ると、私はあおむけのまま痙攣(けいれん)していたそうです。
妻はすぐに電話を取り、119番を押しました。「それは危険な状態ですから、救急隊がお宅に到着するまで奥さんが救命措置をしてください」──。その電話をつないだまま指示を受け、妻は両手を私の胸に置き、力を込めて何度も何度も、心臓マッサージを続けてくれたのです。
私の症状は心臓が異常に動き、やがて止まってしまう心室細動でした。妻の懸命な措置がなければ、脳に酸素が届かなくなっていたでしょう。やがて救急車が駆け付けると、7回ほどAED(自動体外式除細動器)を作動させたそうです。何とか一命を取り留めましたが意識はなく、医師から「自分の力で呼吸できていません」との説明があったそうです。
胸に染みた家族のありがたさ
このとき私が運び込まれた山形県立中央病院には、ちょうど救命救急を専門とする医師がいました。そして低体温状態にして治療するための機械が1台だけ空いていました。頭部も含めて体をいったん34度まで冷やし、徐々に温めていく過程で身体機能の回復を図るという処置です。
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