国内外で至高の日本酒ブランドとして知られる「十四代」。400年超の歴史を持つ高木酒造の逸品だ。平成初期に存続の危機を乗り越えた高木顕統(あきつな)社長は、「芳醇(ほうじゅん)旨口」の時代を切り開いた。当時ブームだった「淡麗辛口」に挑んだのは、なぜか。今日の日本酒市場を形作ってきた立役者が語る。

飲んだとき全身に衝撃が走り、あまりの感動で杯を重ねていった──。私はあるお酒を口にしたのがきっかけとなり、自分自身で最高の日本酒を造りたいと決意。24歳で実家の酒蔵に戻り、文字通り七転八倒しながら歩んできました。日本酒「十四代」は今年3月に他界した父、辰五郎が古酒として手掛けていたものを、私が新酒へと広げて育ててきた“作品”です。召し上がった方にとって、心の琴線に触れるような味わいにできたら。それが私の仕事の使命です。
「伝統産業」だからといって生き残っていけるような、甘い世界ではありません。当社は1615年に現在の山形県村山市で創業しました。各時代の当主が経営者として苦闘しながら、この家業をつないできたのです。15代目に当たるのが私で、自分の作品を追い求めながら経営を成り立たせることに心を砕いてきました。
私たちは「大量生産で大きく稼ぐ」という価値軸ではなく、「納得のいく酒質を求めて造り手も飲み手も幸せになること」を目指しています。おかげさまで私たちの日本酒を欲していただける方が増えましたが、年間約2600石(1石は180リットル)の生産量を飛躍させる考えはありません。
「需要があるのに増産しない」というのは不思議に思われるかもしれませんが、全てを機械化せず、人間の五感が違いを生み出すという特性を大事にしているからです。この軸をぶらさずに会社を切り盛りしていくことの意味を、私の半生を振り返りながら皆さんにも一緒に考えていただけたら幸いです。
父からの想定外の電話
ジリリリ、リリン!
昔の黒電話の音は、常に予期せぬ何かが飛んでくるような緊張感をはらんでいますね。1993年、私が東京の下宿で受話器を持ち上げたときもそうでした。「うちの杜氏(とうじ)が引退することになった。おまえはどうする?」──。あえて平静なトーンで語る父の声に複雑な感情が入り交じっているのを感じました。実家に帰って来いとは決して言わないけれど、期待は分かります。でも父としても、私が東京で情熱を傾けて仕事しているのは知っていましたから。
杜氏というのは、酒造りを統括する技術リーダーです。秋田から山形に毎年通ってくれていたのですが、高齢ということもあり仕事を続けられなくなりました。想定より早かったので、蔵は次の冬からの醸造ができなくなる危機に陥りました。
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