創業3年目でドイツに製品の輸出を始めて以来、地道に海外事業の展開を進めた。米国では、パートナー探しや特許裁判を経て、自力で粛々と事業を続ける道を選んだ。壁に当たっても、まず受け入れる。「馬なり 道なり」を信条に自然体で道を模索してきた。
![辰野勇 [たつの・いさむ]](https://cdn-business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00129/091600077/p2.jpg?__scale=w:500,h:398&_sh=0930270760)
モンベルの製品は今でこそ海外でも取り扱われるようになりましたが、海外展開の道は簡単ではありませんでした。初めて製品を輸出したのは創業3年目。飛び込み営業でドイツの登山用品店「スポーツ・シュースター」に製品サンプルを持ち込み、数カ月後に寝袋などいくつかの注文をもらったのが始まりでした。
その後、他の地域でも試行錯誤を重ねながら取引先を開拓しました。中でも、特に曲折があったのは米国です。きっかけは出張先で偶然出会った米国人のビジネスマンでした。
彼は、ウエットスーツなどを製造する会社の社長でした。話が盛り上がり、彼は我々の事業に非常に興味を持ってくれた。そして、「モンベル製品を米国で売りたい!」と言ってくれたのです。
彼はその後に会社を辞め、1989年に自らの出資で「モンベルアメリカ」を立ち上げました。我々は製品を供給し、売り上げに応じてロイヤルティーを受け取るライセンス契約を結びました。経営については、ほとんど彼にお任せするような形でした。
登山家イサム・タツノをアピール
僕はというと、創業者の辰野勇というキャラクターやモンベルという会社のストーリーを、米国市場で広める活動をしていました。イサム・タツノはアイガー北壁を登り、マッターホルンを登った。そんな人物が製品を開発している、と。
キャンピングカーで全米を行脚しました。開店前の小売店を訪ね、集まったスタッフに一通りモンベルについて説明する。そうした巡業を2年ほど続けていたと思います。
しかし、米国での経営は思うようにはいきませんでした。資金的にも厳しくなり、92年にモンベル本社がモンベルアメリカの資本の過半数を取得して、事業を引き継ぎました。
その後、しばらくして「ランズエンド」という米ファッション通販の会社から、モンベルを取り扱いたいという申し出があり、製品の供給を始めました。しかし、アウトドア“テイスト”のファッションブランドとしてモンベルを売り出そうとする彼らの販売方針がなじまず、ここも手を引くことになりました。
そうこうしているうちに、また「自分がモンベルをやりたい」という別の人物が現れた。米国という市場は、面白い商材があるのなら、「自分が売ればうまくいく」と考える人が次々に出てくるものだと思いましたね。
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