取引先の判断に左右されない商売の確立を目指し、「下請けからの脱却」と「直営店の出店」を決めた。小売店との価格競争を回避するため、卸価格を据え置き、上代を引き下げる「価格リストラ」を断行。「怖がり」な山男の性分で、将来の不安を取り除くため、あえて目の前の困難な道を選び続けてきた。

辰野勇(たつの・いさむ)氏
辰野勇(たつの・いさむ)氏
1947年大阪府堺市生まれ。山ひと筋の青年時代を過ごす。69年にアイガー北壁の登はんに成功し、当時の世界最年少記録を達成。75年にはモンベルを設立し、日本を代表する登山用具メーカーに育てた。米国やスイス、中国など、海外にも展開している。現在はアウトドアスポーツの振興や地域活性化、災害支援活動に取り組む。(写真=菅野 勝男)

 創業後しばらくは、ショッピングバッグの下請けや、大手スポーツ用具メーカーの製品開発などを仕事にしていました。ただ、次第に「このままでは将来がないな」と気づかされました。どれだけ一生懸命に製品を作って納品しても、さらにコストが安い会社を探され、乗り換えられてしまうからです。

 そうした苦い経験を教材にしながら、「モンベル」という自社ブランドを確立しなければ、との思いはどんどん募っていきました。

 寝袋をはじめ、自社製品の開発を徐々に進めました。競合の使っていない、高性能な生地を使用した製品には自信があった。問題は、どうすれば創業間もない会社の情報をユーザーに届けられるかという点です。そこで1980年、登山用具メーカーとしては珍しかった製品カタログを発刊したのです。

 カタログを見たユーザーに対しては、モンベルがどんな製品を展開しているかを直接伝えられました。でも、その製品が小売店に並ぶかどうかはまた別問題。問屋や仕入れの担当者が「売れない」と判断すれば、店頭に並ぶことすら難しいのです。

 この販売手法も下請け製造業と同様、「誰かの判断を通してしか、モンベルの製品を世に出せない」という課題がありました。「値下げしろ」という要望に応じなければ、我々のビジネスが簡単に止まってしまう恐れだってあったわけです。

取引先との摩擦も覚悟

 自分たちでリスクを抱えて店舗を構え、じかに製品をお客様に見てもらわない限り、いつまでたっても問屋や小売店に依存する構造から抜け出せません。そこで僕は、モンベル直営店の出店を決断しました。

 当時、大阪駅構内に開店予定だったショッピングモールから出店の要請をもらっていたことも一つの契機でした。ただ、店の面積はわずか30坪程度にもかかわらず、好立地のため賃料がものすごく高かった。そして何より、我々の店と壁一つ隔てた隣に出店するのが、大阪で最もモンベルの商品を取り扱ってくれていたアウトドア専門店だと言うのです。

 自前の店舗を持つことで、最大の取引先から「直接販売するというなら、ウチはお前の商品を扱わない」と言われるリスクは十分に考えられました。普通なら、長い付き合いのある小売店の真隣にメーカーが自社の店舗を構えたりしないでしょう。

 それでも僕は、直営店を出す考えを改めませんでした。その結果、付き合いのある小売店との取引がなくなることも覚悟した上での決断です。やはり、自分たちの作った製品が、1人の販売担当者の思いや気まぐれに左右される状況は、あってはならない。その思いが強かったですね。