ひ弱だった少年は、海外の有名登山家が著した本と出合い、山に関わる仕事で生きる覚悟を決める。会社を転々としながらも登山家として成長するうち、「自分でものづくりがしたい」という志が芽生えた。7坪の雑居ビルから始まったモンベルは、一歩ずつ登山用具メーカーとしての道を切り開いていった。

辰野勇(たつの・いさむ)氏
辰野勇(たつの・いさむ)氏
1947年大阪府堺市生まれ。山ひと筋の青年時代を過ごす。69年にアイガー北壁の登はんに成功し、当時の世界最年少記録を達成。75年にはモンベルを設立し、日本を代表する登山用具メーカーに育てた。米国やスイス、中国など、海外にも展開している。現在はアウトドアスポーツの振興や地域活性化、災害支援活動に取り組む。(写真=菅野 勝男)

 山登りが好きになり、登山用具の会社まで興したのは、幼少期の経験が関係しているからでしょうね。

 僕は8人兄弟の末っ子です。親にとっては年を取ってからの子どもで、大事に育てられたと思います。体が弱かったので、家にこもっていることが多かったですね。

 実家はすし屋を営んでいて、両親とも忙しくしていました。遊び相手は、仕入れた品物を店に運びに来る「栗山のおっちゃん」。配達が終わると自転車の後ろに乗って家へ連れていってもらい、日がなおっちゃんの所で遊んでいました。

 小学校高学年の時、奈良と大阪の境目にある「金剛山」で雪中登山する学校行事がありました。でも、ひ弱だった僕は、校医さんから「君は居残りしなさい」と言われてしまった。連れていってもらえず、悔しかったなあ。商都大阪の堺という市街地で生まれ育ったこともあり、自然への憧れもありました。

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