経営破綻した日債銀で置かれた自分の立場に矛盾を感じ、ドイツ証券へ転職。ハードワークの中で金融ビジネスの神髄を学ぶも、身体を壊してしまう。財務の知識を生かしたいと選んだロイヤルでは、業績悪化を機に社長へと担ぎ出された。

日債銀の経営破綻後も東郷氏のサポート役として、国会の参考人招致などに同行した(写真左が菊地氏)(写真=共同通信)

 日本債券信用銀行の経営破綻から2年ほど後、ヘッドハンティングの誘いを受けてドイツ証券に転職しました。転職を決めたのは、東郷重興頭取が退任した後、日債銀における役割が微妙なものになっていたからです。

 当時は秘書からは外れましたが、経営責任を追及されている旧経営陣をサポートする立場にありました。それまでの恩もあった私は「裁判が始まるまでは自分も東郷さんを支え続けなければ」と思い、裁判に備えて各種資料を収集したり、弁護士との間を取り持ったりしていました。

 しかし、裁判で東郷さんらを訴えるのは新経営陣です。銀行から給料をもらいながら、その銀行が訴える相手の手助けをすることに何ともいえない後ろめたさを感じていました。

 そんな矛盾した状態が1年近く続き、精神的にもつらかったときに転職の話をもらいました。外資系の会社にしては珍しく「裁判が始まるメドがつくまで入社を待とう」とまで言ってくれます。仕事も面白そうだし、日債銀で新たな居場所を探すよりも良いのではと思い、転職を決心しました。

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