ドラゴンクエストの大ヒットを経ても拭えなかった不安。結局、「日本一」になった実感は得られなかった。 苦しみはなくせない。経営者として到達したのは「試行錯誤こそ経営の神髄」という達観の境地だった。だが、「後悔はない」と言う。多くの人々に笑顔を届ける事業を興せたことが生涯の誇りとなったからだ。

福嶋康博(ふくしま・やすひろ)氏
福嶋康博(ふくしま・やすひろ)氏
1947年北海道生まれ。75年に公団住宅などの募集情報を発信する「営団社募集サービスセンター」を設立。82年にエニックスを立ち上げ、ゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズなどを世に送り出す。2003年には合併で誕生したスクウェア・エニックス会長に就任。経営を離れてからはアジアでのボランティアなどに取り組む。(写真=竹井 俊晴)

 1986年に発売したファミコンソフト「ドラゴンクエスト」は大ヒット作になりました。ドラクエ生みの親となった堀井雄二さんやプログラマーの中村光一さん、作曲家のすぎやまこういちさん、漫画家の鳥山明さんなど、スペシャリストたちが集結したことで、過去になかったゲームが生まれたのです。私たちは続編を次々と世に送り出します。87年に「ドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々」、88年には「ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…」を発売しました。

 ドラクエ人気は予想を超えるスピードで加速しました。新作の発売日にはソフトを買い求める長蛇の列ができました。平日に学校を休んで列に並ぶ子供もいました。購入したソフトを強奪する事件も発生。こうしたニュースには心を痛めました。皆の喜ぶ顔が見たくて起業したのに、ゲームの人気があだとなって社会問題となっている。そこで、ソフトを取られた子供に無償で新品を送ったり、新作の発売日を休日にしたりなどの対策を取りました。

「ドラクエ」ヒットも尽きぬ不安

 エニックスは確かに急成長しました。大学生の頃に夢みた「日本一」はかなったかと聞かれれば、いつまでたってもその手応えは感じられませんでした。数字が伸びた達成感や満足感を不安が塗りつぶすからです。

 私は物事に満足しない人間ではないと思います。小さなことですが、健康のための1時間ほどのウオーキングは疲労感とともに達成感を覚えます。でも、ビジネスは違う。

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