スマホが徐々に広がり始めた2010年、事業のスマホシフトを決断。東日本大震災後にコミュニケーションアプリの「LINE」を生み出した。過去の成功に引っ張られて新しいビジネスのチャンスを逃した苦い経験が生きた。

<span class="fontBold">森川 亮[もりかわ・あきら]</span><br> 	1967年神奈川県生まれ。89年に筑波大学卒業後、日本テレビ放送網入社。ソニーを経て、2003年にハンゲームジャパン(後のNHN Japan、現LINE)に入社。07年、NHN Japan社長に就任。15年にLINE社長を退任、C Channelを創業し社長に就任。20年5月、C Channelを東京証券取引所TOKYO PRO Marketに上場させる。(写真=的野 弘路)
森川 亮[もりかわ・あきら]
1967年神奈川県生まれ。89年に筑波大学卒業後、日本テレビ放送網入社。ソニーを経て、2003年にハンゲームジャパン(後のNHN Japan、現LINE)に入社。07年、NHN Japan社長に就任。15年にLINE社長を退任、C Channelを創業し社長に就任。20年5月、C Channelを東京証券取引所TOKYO PRO Marketに上場させる。(写真=的野 弘路)

 「ケータイ(従来型の携帯電話機)向けのゲームで提携しませんか」

 2004年ごろ、あるネット企業のトップが我々の本社を訪れて協業を打診してきました。当時のNHN Japan(03年にハンゲームジャパンから社名変更。現LINE)は、パソコン向けオンラインゲームのコミュニケーション機能を強化したことが奏功し、市場での存在感を増していました。そのゲームを共同でケータイにも展開しないかという提案だったのです。

 ゲーム事業の責任者だった私は、その打診を断りました。2つの理由がありました。まず、ゲームの魅力を表現しきれないこと。当時のケータイの画面サイズは2インチ台と小さく、アバター(分身キャラクター)などの緻密な映像を表現できないと考えたのです。

 もう一つは、自力で事業を展開できるという自信です。実際、04年には業界に先駆けてケータイ向けのゲームサイトの開設に踏み切りました。ところが、このケータイ向けゲームサイトがあまり成長しなかった。今にして思えば、登録にパソコン向けIDが必要だったことが問題でした。パソコン向けが主力であり、ケータイ向けは付加サービスの一つという位置付けだったのです。既存ユーザーを守ろうとした結果、ケータイで新たに始めようとするユーザーには使い勝手があまり良くないものになっていました。

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