弟が入社した後、重里兄弟は二人三脚で、会社を環境変化の荒波に負けない強い組織に鍛えた。兄として、社長として決断したのは聖域への切り込み。父が造った工場や祖業の売却を決断した。2017年に弟にトップを託すも「創業家の社長は3代まで」と断言。社内で育つ若い芽に未来をつなぐ。

重里欣孝 (しげさと・よしたか)氏
重里欣孝 (しげさと・よしたか)氏
1958年大阪市生まれ。82年、日本大学法学部卒業。家業だったすし屋の見習いなどを経て、87年にサト(現SRSHD)入社。93年に創業社長だった父の急逝によって35歳で代表取締役社長に就任。バブル崩壊後の経営不振から脱却するために、和食レストランへの業態一本化など構造改革を成し遂げた。趣味はゴルフ、読書。座右の銘は「愛、生きぬく」。(写真=菅野 勝男)

 商社マンだった弟が加わり、当社の経営は進化しました。父が興した会社を思いがけず引き継ぎ、僕は拡大に注力してきました。弟は大きくなった会社を筋肉質に変えることに力を発揮しました。

 弟には入社後、社内の現状をリポートしてもらいました。結果、「売り上げの乱高下に耐えるには『売る』より『もうかる』仕組みが肝要」という見解を示しました。ここで力試しです。問題の解決まで弟に任せたのです。弟は若手と協力して発注の自動化システムなどを構築。店舗運営の効率化によって、2010年3月期は営業利益が4億円以上改善しました。

 弟は見事に実力を示し、兄弟での経営が本格化しました。当時はリーマン・ショックによる不況が尾を引いていました。既存店売上高が落ち込み、商品のてこ入れも必要になりました。弟と「さと」の強みを熟考した結果、「鍋料理」に行き着きました。

リーマン・ショックによる不況下においても消費者の支持を得てヒットした「さとしゃぶ」
リーマン・ショックによる不況下においても消費者の支持を得てヒットした「さとしゃぶ」

 実は、夏でも鍋ものは売れるんですよ。すし半でもかつて、夏場は「うどんすき」が人気でした。2人で話し合い「今、勝負するならしゃぶしゃぶの食べ放題やな」と決めました。

 実験店で提供したところ顧客の反応は上々。「こんなに安い商品出しておたく大丈夫か」と言われました。しめた!と思いました。デフレ時代にはこの言葉をもらえないとヒットしませんでしたから。まあ、サトの悪いところを挙げるとヒット商品にあぐらをかいてしまうところなんですが(笑)。今はまた、弟を筆頭に現場で新商品を考えてくれているようですから、楽しみですね。

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