父のがん発症をきっかけに、経営を受け継ぐべくサト(現SRSホールディングス)に入社した重里氏。バブル崩壊で先行きが不透明となり、起死回生の一手として低価格の和食業態の開発にまい進した。そして35歳で父との突然の別れ。2代目として社長に就いたものの、新体制の構築に苦しんだ。

重里欣孝(しげさと・よしたか)氏
重里欣孝(しげさと・よしたか)氏
1958年大阪市生まれ。82年、日本大学法学部卒業。家業だったすし屋の見習いなどを経て、87年にサト(現SRSHD)入社。93年に創業社長だった父の急逝によって35歳で代表取締役社長に就任。バブル崩壊後の経営不振から脱却するために、和食レストランへの業態一本化など構造改革を成し遂げた。趣味はゴルフ、読書。座右の銘は「愛、生きぬく」。(写真=菅野 勝男)

 父の喉頭がん発症をきっかけに、1987年にサトへ入社しました。1年ほど後、僕は父からフグの仕入れルート開拓を任されます。向かったのは韓国。インターネットがない時代です。「済州島周辺でフグが水揚げされている」という情報だけを頼りに、釜山から港をしらみ潰しに歩きました。当時は円高だったので、質の良い韓国産を安価に仕入れるチャンスだったのです。

 ただ、当時の韓国には日本国内ほど本格的な加工ラインを備えた工場がなく、その構築から手掛ける必要がありました。フグをさばくための小出刃包丁が現地で調達できなかったので、包丁を日本から50本ほど飛行機で運ぼうともしました。税関で捕まってしまいましたが(笑)。

 韓国で雇った従業員は女性が多く、フグのさばき方を一から教えました。反日感情が強い人もいて「何でおまえの言うことを聞かなきゃいけないんだ」とフグを投げつけられたことも。「何とか信頼を勝ち取るんや」という一心で朝から晩まで彼女たちとフグをさばき続けました。「同じ釜の飯を食う」というのは海外でも変わらないんですね。「あんたは他の日本人と違うな」と認めてもらえました。

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