債務超過寸前の経営危機から脱した直後、米シリコンバレーへの移住を決めた。社長自ら、世界のIT(情報技術)が集まる場所でよりよい製品を見つける狙いだった。米国企業と交渉しやすくなり、日本の社員の成長を促す効果もあった。

<span class="fontBold">松田憲幸[まつだ・のりゆき]</span><br />1965年兵庫県生まれ。89年に大阪府立大学工学部数理工学科を卒業し日本IBM入社。93年に独立し、96年にソース(現ソースネクスト)を創業。パソコンソフトを1980円で販売する戦略などで販売本数国内首位に立つ。2012年から米シリコンバレーに移住。米企業との交渉の第一線に立ちつつ経営のかじ取りを担う。(写真=的野 弘路)
松田憲幸[まつだ・のりゆき]
1965年兵庫県生まれ。89年に大阪府立大学工学部数理工学科を卒業し日本IBM入社。93年に独立し、96年にソース(現ソースネクスト)を創業。パソコンソフトを1980円で販売する戦略などで販売本数国内首位に立つ。2012年から米シリコンバレーに移住。米企業との交渉の第一線に立ちつつ経営のかじ取りを担う。(写真=的野 弘路)

 経営危機を脱し、ようやく前を向けるようになったころ、米国シリコンバレーへの移住を決めました。

 2011年4~6月期から4四半期連続で黒字を達成し、継続企業の前提の注記(ゴーイングコンサーン)の記載を解消できた直後です。12年9月に米シリコンバレーに子会社を設立し、本体の社長を続けながら米子会社のCEO(最高経営責任者)を務めることにしました。米国に住み、月1回ぐらい日本に帰ってくるという生活が始まりました。

 普通なら、英語ができて仕事ができる人を選んで米子会社を任せるところでしょう。でも、それでは失敗するんじゃないかという不安がありました。現に、09年に設立したドイツの子会社は欧州の市場で勝負できる製品をそろえられず、12年に解散していました。ソースネクストの成長のカギとなる米国事業は自分が率いようと考えたのです。

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