家業の手伝いに駆り出された少年時代、父への反発から進学を機に東京で暮らし始めた。大学時代に起こした事業の失敗で500万円の借金を抱え、生涯最悪といえる危機に陥る。困窮する息子をあえて突き放した父。重里氏は社会にもまれ、人間の怖さと優しさを学んだ。

父(故・重里進氏)が急逝し、35歳でサト(現SRSホールディングス)の社長に就任した僕は、若さゆえに当時の経営陣からそっぽを向かれました。悔しさを糧に奮い立ったと前回お話ししましたが、厳しい局面であっても僕はひるみません。それは学生時代の強烈な経験があるからかもしれません。少し遡りますが少年時代からの体験を語らせてください。
僕は中学生の頃から家業のすし屋で手伝いをやらされていました。職人上がりの店長さんの指導は厳しかった。大嫌いだったのは冬の皿洗い。冷水で洗うのはつらかった。水と洗剤をパパッと付けて、ええかげんに洗っていました。湯飲みに洗剤が残っていてお茶が泡立ったりすると、「なんやこれは!!」と叱られたりしてね。でも、謝りたくないから「はーい」って聞いたふりをしていました。
ええかげんでしたねぇ。勉強も嫌いで、「おまえみたいなアホは見たことない」と父に叱られて。奇跡的に日本大学法学部に合格したので、上京することになりました。進学先に東京を選んだのは、「親元を離れて自立したい」という思いが強かったからです。まあ、大阪に残ると働かなきゃダメなのも嫌だったんですが(笑)。

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